広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が大いに期待する女性落語家が、柳亭こみちだ。
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落語家に女性は少ない。現在、東京の女性落語家は四団体合わせて二十人。圧倒的な少数派である。
女性が落語を演る上での最大の弱点は声だ。女性特有の高い声で無理に「男の声」を作ろうとすると、どうしても「アニメで女性の声優が男の子の声を出している」みたいになってしまう。そんな声でご隠居さんや喧嘩っ早い男を演じられては、こっちが気恥ずかしい。
だがそれは「女に落語は出来ない」ということではない。アニメ声になってしまう演者が未熟なだけだ。そもそも、落語において「声を作って演じ分ける」というのは極力抑えるべきことであって、声ではなく演技力によって老若男女を演じ分けるのが上手い落語家なのである。
今、女流講釈師は珍しくない。講談の世界では既に「女性講釈師のあり方」が確立されているのだ。落語でも、個々の演者が「男とは声が違う」ことを自覚しながら技巧に工夫を凝らし、修練を積むことで、「女流落語家のあり方」が確立されても不思議ではない。
その意味で僕が大いに期待しているのが、落語協会の女流二ツ目、柳亭こみちだ。早稲田大学卒業後、社会人を経て2003年に柳亭燕路(柳家小三治の弟子)に入門している。こみちは古典落語の基本がしっかりと出来ていて、ハキハキと明るい口調が実に心地好い。不自然に声を「作る」ことなく自然体で古典落語を演じる技術があるから、「女性であること」は「高座の華やかさ」という武器になっている。
ここ数年でこみちはグッと面白くなった。例えば『都々逸親子』。三代目三遊亭圓右(故人)の新作落語で、多くの演者が継承して今や古典に近い演目だが、こみちは本来の「父と息子」という設定を「母と娘」に変え、自身のキャラを前面に出して大いに笑わせる。
男性が演じるように作られた落語を女性がそのまま演っても、観客の共感は得にくい。だから、女流落語家が成功するには「女が演じてリアルに感じられる噺」にする創意工夫が必要だ。もちろん「女性向きの新作落語を創る」のも正しい方法論だが、こみちの『都々逸親子』がそうであるように、「既に存在する噺の設定を変える」だけでもいい。
※週刊ポスト2011年9月30日号