広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が、“立川流では貴重な「自然体」の演者”と評する噺家が立川生志だ。
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立川流生え抜きの真打では志の輔、談春、志らく、談笑の活躍が目立つが、忘れちゃいけないのが立川生志。真っ当な古典のテクニックと程よい現代性を併せ持つ実力派だ。1963年生まれ、福岡県出身。1988年に談志に入門して「立川笑志」、1997年に二ツ目。2008年に待望の真打昇進を果たして「生志」と改名した。
「待望の」と書いたが、彼の真打までの道のりは実に長かった。談志がなかなか認めなかったからだ。評論家筋に高く評価され、毎年のようにコンクールで受賞する「そんじょそこらの真打より上手い二ツ目」笑志の真打昇進はいつか。
これが話題になり始めたのは「NHK新人演芸大賞」審査員特別賞、「彩の国落語大賞」殊勲賞、「にっかん飛切落語会」優秀賞の三つを受賞した2002年あたりからだ。翌2003年にも二つの賞を獲得した笑志は、「真打を目指す」と明言するようになった。03年といえば入門して既に十五年。他の協会ならとっくに真打になっていただろう。だが談志が昇進を許すまで、さらに五年かかった。
談志が定めた立川流の昇進基準では、二ツ目は落語五十席、真打は落語百席の習得が必要とされるほか、歌舞音曲と講談も出来なくてはいけない。笑志の場合、引っかかったのは「歌舞音曲」の部分だった。
もっとも、基準をクリアしたかどうかを判定するのは家元の談志である。裏を返せば「家元が認めれば合格」ということだ。談志の「俺が認める芸人になれ」というメッセージを正確に受け止めるかどうか。そこにポイントがある。
翌年の真打昇進が内定した2007年8月、談志は笑志に「この五年は無駄じゃない」と言い聞かせたという。笑志は談志が求める「何か」を会得したからこそ認められた。07年当時の彼の高座のハジケた面白さは、それを明確に物語っていた。
生志の最大の長所はバランス感覚だ。明るく親しみやすいが、適度な「毒」もある。現代的なギャグを入れたり、時には噺のサゲ(オチ)を変えたりするなど「創意工夫」を施しているが、妙なあざとさはなく、古典のテクニックに裏打ちされていて、頭デッカチにはならない。「自分の言葉でしゃべる落語」だが、あくまで古典の世界観を崩さない。
生志は、伝統を受け継いだ古典落語の中に、ごく自然に「現代人の感性」を溶け込ませている。殊更に「現代」を強調して噺を壊したりはしない。「伝統を現代に」をモットーとする立川流にあって、この生志の「自然体」は貴重である。
※週刊ポスト2011年12月16日号