ストーリーギャグの巨匠、いしかわじゅん氏は、かつて官能劇画界の売れっ子だった。現在は漫画だけでなく、小説や漫画評論でも幅広く活動する氏が、デビュー当時を振り返る。
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俺、デビューして1年くらいは食えなくてね。ストーリー漫画の手法でギャグをやるっていう、当時まだなかった漫画を描いていて、新しいことをやっていれば仕事は来ると思ってたんだよ。だけど、いろんなところに持っていっても、次の仕事につながらない。
そうやって1年くらい食えない状態で途方に暮れてた頃、本屋で漫画誌を見回してたら、変な雑誌が何冊かあるのに気付いたんだよ。エロなんだけど、投稿欄や書評欄があったりして。ここだったら、俺が描いてるものをわかってくれるんじゃないかって思って持っていったら「面白いね。じゃあ、今月から連載で」って言うの。同じようなエロ誌に持っていったら、どこでも「連載で」って言われて、急に売れっ子になっちゃって(笑)。
1979年、「漫画エロジェニカ」から依頼があったんだけど、既に大手の仕事を始めてたし、どうせなら部数が多くて原稿料が高いところで描きたかったから、「もうエロ劇画で描く気はないから」って断わったんだけど、当時の編集長の高取英が「何ページで何を描いてもいいから」って言うんだよ。「今月は何ページって言ってくれれば言われた分のページを取ります。カラーがよければカラーページ確保します!」って。それならってことで始めて、割と面白いことができたよ。
エロ本ってもともとは編集者自身が「肉体労働者が読むものだから、女が股開いてればそれでいいんだよ」なんて言ってたジャンルだった。でも、だんだん若い編集者が1冊任されるようになって、「エロ以外のものが載っていても部数が落ちない」って気付いて、エロの中に毛色の違うものも載せるようになってきた。ブームの頃には編集者も漫画家も「何を表現するか」というのをすごく意識してたよ。最先端すぎて、抽象的で難解で俺も理解できないようなものが普通に載ってたよ(笑)。
当時の俺なんて今見ると本当にヘタで恥ずかしいんだけど、ヘタでも描きたい意志だけはあった。熱意があって、変なものが描ければ参入できたんだよな。
※週刊ポスト2012年3月16日号