〈毛のある生活〉の有難さもまた『毛のない生活』(ミシマ社/1575円)で知った〈福作用〉の一つだと、同書の著者で元幻冬舎編集者、山口ミルコ氏(46)は言う。
有るはずのものが、無い。すると人はそれが有ることの奇蹟にようやく気づくらしい。頭髪や睫毛や陰毛、会社やお金に自分がいかに守られてきたか、守られなくなって初めてわかるのだ。
「世間って冷たいですよ~。会社員でも妻でもない女性は携帯一つ簡単に買えないなんて、私も会社を辞めるまで全く知らなかった!」
右胸のしこりに気づいたのは、退社を考え始めていた矢先のこと。ガン細胞はいつしか腋のリンパ節にも転移し、2年余に及ぶ闘病生活は〈ちっぽけな自分〉と向き合う時間でもあった。
だが彼女は自戒を込めて書く。〈成長、拡大、増殖のメッセージはもうたくさんだ〉〈いっそのこと。「小さくなる」のはどうだろう〉
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山口氏は1965年東京生まれ。大学時代はビッグバンドでサックスを吹き、その後、見城徹氏を紹介された縁で、幻冬舎の創業にも参加。以来文芸から芸能まで数々のヒット作を手がける一方、〈高級外車を乗り回し、GI値の高い食事を好み、ハイブランドのスーツを着ていた〉。今思えば、より華やかに“足し算”で生きる典型的バブル世代とも言えたが、2009年3月の退職と4月のガン告知を機に彼女は一転無い無い尽しの“引き算人生”に突入する。
「なぜヴェルサーチなんて着ていたのか、無職の今は信じられませんけどね。でも当時は好きだったんですよ。仕事や会社も本当に好きで、心底愛していたから、掛値なしに頑張れた。
あのころの私は〈いつもハレ〉〈雨が降ってもハレ〉(笑い)。仕事でも遊びでも自分が常に〈出席〉していないと不安だったんです。
その仕事や会社にいわば私は失恋し、もう無理だと思った矢先、“ガンの花が咲いた”ということだと思う。それほど体内に取り憑いていた毒も今はスッキリ浄化され、〈欠席、可〉と思えるようになりました」
翌月、患部を無事切除し、4度に亘る抗ガン剤投与にも何とか耐えた。その間、〈抗ガン剤後のからだは、ほんとうに必要なものしか求めてこない〉等々発見も多く、また、病と闘うにも本屋はまず本を開く。
「古くは貝原益軒の『養生訓』とか、予防や健康法の本ばかり読んでいましたね。私は治る、絶対生きてやると思うからこそ、闘病記は逆に怖くて読めなかった」
〈マクラが髪の毛だらけで真っ黒だったあの朝のことは、生涯忘れないだろう〉とある。毛という毛を悉く失う経験は彼女を文字通り丸裸にし、しかしそれこそが〈何者でもない〉自分を取り戻す契機になったと。
「ちっちゃいんですよ~。何者でもない自分って! でもそれがむしろ基本形なんですよね。毛も肩書もない自分を〈私は私〉だと思えれば逆に楽になれますし、私は私、相手は相手ですっくと立つ、一粒一粒の“粒立ち”を大事にすることで、例えば仕事や企業活動に関してもより幸福な形が模索できるかもしれない。
経済効率なら経済効率という目標を皆で追うあまり、どの粒も摩耗しているのが今だとすれば、今後はその一粒にしか出来ない仕事をみんながやらないと世界と渡り合っていけないと私は思う。せめて経営者はその流れに敏感でいてほしいし、私たちもお互いちっぽけな個人の誠意や努力を正当に認め合う丁寧な社会を志向したい。考えてみれば別に小さいことは悪いことでも何でもないんですもんね」
●構成/橋本紀子
※週刊ポスト2012年4月13日号