ライフ

2DKの家に3万1618冊の本を溜めた男性の生きざまとは

 草森紳一さん。知の巨人といわれ、積み上げた本に〈穴〉の中で永遠の眠りについた男。希代の読書家を、作家の山藤章一郎氏が追った。

 * * *
「アワワッ」鳴らしつづけた電話がやっとつながる。と、耳にその悲鳴、ついで、「イテッ」とか、「ドサッ」。本の崩れる音が続く。たまに、ではない、しょっちゅう。文藝春秋社の編集者・細井秀雄さんは、だから慌てない。

 江東区永代、隅田川沿いのマンション7階2DK。廊下、部屋の天井まで本が詰まり、宿主も、たまの訪問者も、昔は、顔、体をカニにしてそろりと横向けに行った。

 いまは横向けどころか、坐る空間もない。訪問者もいなくなった。宿主・草森紳一さんは、体を、くの字にして寝る。部屋に、川の風景も陽の光も入らない。

 電話が鳴っている。ジュワキ、ジュワキ。手を伸ばす。届かない。エエイ、メンドクセーナ。

 だが、鳴りつづける。ヨッコラショ。本を踏み、崩れてこぬよう山を押える。やっとの思いで、受話器を取る。瞬間、ドサッと山は崩落する。「アワワッ」

 ある日も、細井さんは気長に鳴らしつづけた。ところが、出ない。

 ひょっとして「ナクナッタ?」慌てないけどイヤな予感がした。通い慣れた部屋、いつも鍵はかかってない。電気をつけた。だが、本の壁で視界が利かない。遭難救助の思いで、必死で本を掻き分けて呼びかける。

 だが応答なし。無謀に進めば、二次サイガイの恐れあり。「よし、テッシュウ。明朝 サイソウサク」

 電話で、編集者仲間の藝術新聞社長・相澤さんと、同社の根本さんに託した。翌朝の捜索隊ふたりは、大型懐中電灯を携え本の山に這い登った。

 3万冊を越す高嶺である。このすべてが2DKの中に聳えている。

 あとで、整理のボランティアが数えた。段ボール731箱。3万1618冊。毎日1冊読んで87年8か月かかる峻嶮の山である。ほかにまだ。北海道の郷里に3万冊。合わせれば、175年分。

「どこだ、どこだ。捜しても捜しても発見できない。諦めかけました。しかし、もいっかいと、奥に進んだ。あれ? あれは人のかたちじゃないか。すきまから懐中電灯で照らした先に、半畳ほどの空間があったんです。われわれはその外側に積み上がった山に、慎重に登って、こう、上からですね、ああそうそう、見下ろす感じで〈穴〉を照らしたんです」

 相澤さん、根本さん、決死の救出行である。

「オレは全裸で寝るとよくいってた通りの恰好でスッパダカ。顔は苦しみもなく安らかでした。好きな本に埋もれた幸せな死ですね」。独身。毎日外食。享年70。本以外の世事に関心はなかった。

※週刊ポスト2012年4月13日号

関連キーワード

トピックス

結婚生活に終わりを告げた羽生結弦(SNSより)
【全文公開】羽生結弦の元妻・末延麻裕子さんが地元ローカル番組に生出演 “結婚していた3か間”については口を閉ざすも、再出演は快諾
女性セブン
「二時間だけのバカンス」のMV監督は椎名のパートナー
「ヒカルちゃん、ずりぃよ」宇多田ヒカルと椎名林檎がテレビ初共演 同期デビューでプライベートでも深いつきあいの歌姫2人の交友録
女性セブン
NHK中川安奈アナウンサー(本人のインスタグラムより)
《広島局に突如登場》“けしからんインスタ”の中川安奈アナ、写真投稿に異変 社員からは「どうしたの?」の声
NEWSポストセブン
《重い病気を持った子を授かった夫婦の軌跡》医師は「助からないので、治療はしない」と絶望的な言葉、それでも夫婦は諦めなかった
《重い病気を持った子を授かった夫婦の軌跡》医師は「助からないので、治療はしない」と絶望的な言葉、それでも夫婦は諦めなかった
女性セブン
コーチェラの出演を終え、「すごく刺激なりました。最高でした!」とコメントした平野
コーチェラ出演のNumber_i、現地音楽関係者は驚きの称賛で「世界進出は思ったより早く進む」の声 ロスの空港では大勢のファンに神対応も
女性セブン
元通訳の水谷氏には追起訴の可能性も出てきた
【明らかになった水原一平容疑者の手口】大谷翔平の口座を第三者の目が及ばないように工作か 仲介した仕事でのピンハネ疑惑も
女性セブン
歌う中森明菜
《独占告白》中森明菜と“36年絶縁”の実兄が語る「家族断絶」とエール、「いまこそ伝えたいことが山ほどある」
女性セブン
大谷翔平と妻の真美子さん(時事通信フォト、ドジャースのインスタグラムより)
《真美子さんの献身》大谷翔平が進めていた「水原離れ」 描いていた“新生活”と変化したファッションセンス
NEWSポストセブン
羽生結弦の元妻・末延麻裕子がテレビ出演
《離婚後初めて》羽生結弦の元妻・末延麻裕子さんがTV生出演 饒舌なトークを披露も唯一口を閉ざした話題
女性セブン
ドジャース・大谷翔平選手、元通訳の水原一平容疑者
《真美子さんを守る》水原一平氏の“最後の悪あがき”を拒否した大谷翔平 直前に見せていた「ホテルでの覚悟溢れる行動」
NEWSポストセブン
5月31日付でJTマーヴェラスから退部となった吉原知子監督(時事通信フォト)
《女子バレー元日本代表主将が電撃退部の真相》「Vリーグ優勝5回」の功労者が「監督クビ」の背景と今後の去就
NEWSポストセブン
文房具店「Paper Plant」内で取材を受けてくれたフリーディアさん
《タレント・元こずえ鈴が華麗なる転身》LA在住「ドジャー・スタジアム」近隣でショップ経営「大谷選手の入団後はお客さんがたくさん来るようになりました」
NEWSポストセブン