そのシーンがスクリーンに映し出されると、会場は静まりかえり、男性客の間からごくりと生唾を飲み込む音が聞こえてきたという。
「女優として一皮むけた」「彼女の代表作になる」と前評判が高いのは、9月8日公開の映画『夢売るふたり』で主演する松たか子(34)である。松はフジテレビの月9をはじめテレビドラマや舞台の印象が強いが、主演した『告白』(2010年)のヒットなど、映画での活躍も目覚ましい。
監督を務めたのは、『ゆれる』『ディア・ドクター』で国内外の映画賞を総なめにし、小説『きのうの神様』では直木賞候補に選ばれた西川美和氏。清純派女優と新進気鋭の監督が強烈な問題作を作りあげた。
『夢売るふたり』はまだマスコミ向けの試写が始まっていない段階だが、興行・配給向けに案内される「業務試写」をいち早く鑑賞した関係者から作品の全貌を聞いた。
西川監督自ら原案・脚本を手がけた本作は、結婚詐欺で荒稼ぎする夫婦の話。松演じる里子の夫・貫也を阿部サダヲが演じている。
貫也が外で女をたぶらかす“仕事”に励んでいる最中、里子はアルバイトに精を出し、家では店舗物件を探しながらひたすら夫を待つ。貫也と女たちの情事を夢想し、焦燥に心をかきむしられたのか――居間に横になった里子の右手はグレーのロングスカートの中に伸びていた。
「はぁ…はぁ…」と唇から熱い吐息を漏らし、遠くを見つめながら没頭する里子。私生活の松は16歳上のミュージシャンの夫を持つ人妻でもある。その間、10秒から20秒ほどだったという。突然ファックスの着信音が鳴り響き、里子の淫靡な愉しみは中断された。
我に返った里子はそそくさと指先をティッシュで拭い、パソコンに向き直ってネットサーフィンを始めた。このそっけないほどの“切り替え”にも、女の性のリアルが滲み出ているのではないだろうか。
女性の自慰シーンは近年、少しずつ描かれ出しているという。映画評論家の秋本鉄次氏がいう。
「印象深いのは『昭和歌謡大全集』(2003年)での樋口可南子。自宅のソファに横たわりながらの迫真の自慰シーンは素晴らしかった。『ベロニカは死ぬことにした』(2005年)の真木よう子は全裸での自慰シーンでした。『真幸くあらば』(2010年)の尾野真千子も全裸で荘厳な自慰演技に挑戦しましたが、真木の迫力を凌駕するには至っていません」
『夢売るふたり』には、もう一つ、ドキリとさせられるシーンがある。
パンティを膝下までずり下ろし、便座にたたずむ里子。月経を迎えたのだろう、トイレから出てくると棚から取り出した生理用ナプキンをパンティに装着し、スカートをたくし上げながら無造作に穿いた。
このシーンも自慰のシーンも物語の中では意味のない短いシーンだが、女の生々しい性を観客に突き付ける迫力に満ちている。西川監督は「感情移入できないような汚い話をやってもらうには、松さんの絶対的な品が必要」とキャスティングの理由を語っている。
「松たか子は非の打ちどころのないパーフェクトな美人ではありません。梨園育ちのお嬢様でありながら、高級ドレスや晴れ着姿よりも、街場のお姉さん役の方がよく似合う。それゆえファンも多いのでしょう」(秋本氏)
※週刊ポスト2012年6月15日号