4年前の12月、1人の全盲の男性が駅のホームで走行中の電車に巻き込まれ、重傷を負った。この男性は落語家・笑福亭伯鶴(55)。高座への復帰も危ぶまれる大けがだったが、リハビリの末、彼は舞台に戻ってきた。誰もが先の展開をこう予測するだろう。「ハンデを乗り越えた落語家の復活物語」――。しかしインタビューに応じた伯鶴は、「僕がいいたいのは、社会的弱者が陥りがちな“甘え”の問題です」と語り始めた――。
伯鶴は生まれながらの全盲である。幼い頃から祖父に連れられて寄席に通い、中学時代には六代目・笑福亭松鶴の弟子になると決心していた。入門時の苦労を尋ねる前に、彼はこういって釘を刺した。
「はっきりいうて、列車事故のことについて美談は期待せんといてや。目の見えん者が苦労して落語家に弟子入りして、今度は大ケガを克服する再起のドラマ? そんなアホなことあるわけないがな」
――落語との出会いは?
「そんな古いこと覚えてまへんがな。あんたが記者になりたいって、何年何時何分に思ったかなんていえまへんやろ」
このやり取りを聞くと、偏屈な人物に思われるかもしれない。しかし、そうではない。過剰に自分を美化されることに辟易していた部分があるのだろう。
「盗人が知らぬ間に盗人になったように、こっちはいつの間にか噺家になっとった、というわけですわ」
軽妙に笑い飛ばし、入門時の経緯を語り始めた。
「落語家になるに際しては、弟子にしてもらうのが一番大変やったね。六代目松鶴は厳しい人やったから、弟子入りを頼みに行くのも怖かったがな。はっきり言うて断られるやろと思ってたら、不思議なことにすぐに弟子にしてもらえた」
視力のない伯鶴が「見て盗む」伝統芸能の世界で生きていくためには、大変な苦労があったであろうことは想像に難くない。
「現場で落語を教えてもろたのは、兄弟子の故・松葉兄さんです。普通はビデオやなんかで落語を覚えるんやけど、ボクの場合は、師匠の技を『目で見ては盗まれへん』からね。
仕草には苦労しましたな。うどんをすする形にしても、友人に頼んで師匠がやっている仕草と見比べてもらったり、まさに手取り足取りですわ。まあ、そうは言うても、こんなことは噺家になると決めたときから覚悟していたことやから」
やはり並大抵の苦労ではない。人の倍以上の努力で、ようやく伯鶴は落語家になったのだ。
「倍の努力って! 人間は、そもそも他人の倍も努力できるもんじゃありまへんで」
入門から2か月目で初舞台を踏んだ伯鶴は、順調にキャリアを積み(上方落語には真打制度がない)、テレビやラジオなどで幅広く活躍するようになった。
●文/鵜飼克郎(ジャーナリスト)
※週刊ポスト2012年7月20・27日号