4年前の12月、1人の全盲の男性が駅のホームで走行中の電車に巻き込まれ、重傷を負った。この男性落語家・笑福亭伯鶴(55)。高座への復帰も危ぶまれる大けがだったが、リハビリの末、彼は舞台に戻ってきた。誰もが先の展開をこう予測するだろう。「ハンデを乗り越えた落語家の復活物語」――。しかしインタビューに応じた伯鶴は、「僕がいいたいのは、社会的弱者が陥りがちな“甘え”の問題です」と語り始めた――。
「両目が見えんのは、ハンデとか不自由ちゃいますねん。ただ不便やいうだけですわ」
伯鶴はそう強調する。
「両目が見えんのは、ボクの生まれながらのキャラクターですねん。そう思って生きてきました。不自由なんや、ハンデなんやというて、何でもかんでも周囲に甘えて求めるんじゃなく、『自分の力ではどうにもならないこと』を冷静に見極めて、その部分を助けてもらいたいというだけです。あの事故のときには、ボクは自分でできることを、全部やっていなかった」
そしてこう続ける。
「人間は誰でもラクな方をとろうとするもんやで。ボクも気持ちだけいうたらシンドイの嫌いやし。たとえば高座やけど、事故の後遺症で、まだきちんと正座がでけへんのです。それで座布団をお尻に挟んでやらせてもろうた。そりゃあラクでっせ。このまま、ずっと座布団挟んで落語したろかと思ってまうほどや。
だけど、これを続けたら甘えになってしまう。『どうやってもできない』状態なら認めてもらうしかないんやけど、『自分がラクだから』という理由で、これから先もボクが座布団を挟んで『伯鶴は障害者やから』って皆に許してもろうたら、これはもう、都合のええ甘えですわ。『どうしてもやむを得ない』と『もらえるもんは、もろとこう』は、コレ、ぜんぜんちゃいますねん」
大ケガのあと、5か月に及ぶ入院で見えたものがあった。
「リハビリは大変でしたわ。歩行訓練のマニュアルは基本的に健常者を想定しとるもんやから、全盲者には奇妙キテレツな指示が飛んだりしてね。
視覚障害者は白杖を持って歩いとるでしょ。あれは普通の杖と違うんですわ。身体を支えるための杖やなくて、障害物の状況を確認して歩くためのガイドなんです。ところが、リハビリでは片手で手すりを掴んで、もう片方の手の白杖で身体を支えながら歩きなさい、と。
そんなもん折れてしまうがな。こんなんはボクらの努力では、どうにもならんのです。いうたらこれは、健常者の側に理解してもらうしかない」
●文/鵜飼克郎(ジャーナリスト)
※週刊ポスト2012年7月20・27日号