大津いじめ自殺事件では、ネット住民による“制裁”が相次いだ。関係者の個人情報が続々とウェブ上に書き込まれ、それらをもとに学校や市教委には電話やメールの抗議が殺到。そしてついに市教育長が19歳の大学生に襲撃される事件まで発生した。「ネット自警団」の浅はかな義憤は、教育現場に何をもたらしたのか。ジャーナリストの鵜飼克郎氏がレポートする。
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9月3日には、生徒が通っていた中学校で始業式があった。爆破予告や脅迫電話が相次いだため、朝6時から捜査員や教師60人が安全確認し、30人のPTA関係者がガードするなか850人の生徒が登校した。閉ざされた正門と裏門の中には警備員が3人配置され、教育現場には似つかわしくない「防犯カメラ作動中」の大きな看板が目を引いた。
冒頭の通り、防犯体制強化は市庁舎も同じだ。平日朝の開錠時間を1時間遅らせ、休日の入庁には身分証明書の提示が義務づけられた。また、県警の指導により市教委と市長室前に防犯カメラを設置。市教委では2か所ある通路のうち、教育長を襲った男が使ったとみられる本館からの通路を封鎖した。
今回のいじめ自殺事件で学校や市教委の対応は許されるものではない。ただ、私が前々号でレポートした通り、問題は個々人というよりも役人体質に染まりきった教育ムラの仕組みにある。つまり構造的な問題だ。
市庁舎の警備体制を確認しようと市管財課を訪ねたところ、「警備体制が漏れて問題が起きたら困る」と取材には応じず、市教委は「ネットでターゲットにされないように」と会見の担当者をコロコロ代えるようになった。
結局、ネットに蔓延る浅はかな義憤は、教育現場で誰も問題と正対しない「無責任体制」を助長しただけではないか。
※SAPIO2012年10月3・10日号