近年、目上の人の依頼、希望、命令などを承諾する意に「了解」を使う向きもあるが、元来、慣用になじまない言葉だ。「了解」氾らんをめぐる違和感を、作家の山藤章一郎氏が語る。
* * *
「ぶっきらぼうで敬意が不足」していて、対人関係を円滑にするための〈社会的言語行動〉である〈ポライトネス理論〉に反し、上司には坐り心地が悪く聞こえる〈了解〉。
上司は胸に呟く。
「きみはな、理解しなくていい。私は、ヤレと命令してる。考えるヒマがあったら、すぐ実践せよ」
トップが尖閣列島を買おうという。部下が「かしこまりました」と答えれば、不遜にはならない。あるいは、短く「はい」といえば済む。なぜ「了解」とわざわざ応えるのか。ある種の屈折があって「はい」と素直にいえぬのか。
上司の命令には通常、従わなければいけない。それを「了解」と応えると、「いやあそれってまずいんじゃないですか。そんなことしたら、中国がどう出るか」というニュアンスが浮きあがってくる。それが年長者の通念である。きみの意見と理解など求めていない、「買おう」といっている。それを実践せよ。
以上は、40年、言葉と格闘してきたアナウンサーに教わった。『ひっかかる日本語』(新潮新書)の元・文化放送アナウンサー・梶原しげる氏の分析である。
上司の気持ちを氏は、〈了解〉を2ポイントに整理していう。
【1】上司の命令、下達は、そもそも部下に、理解を求めているものではない。実践するように伝えているだけである。逡巡はいらない、すみやかにただ実行せよ。だから「かしこまりました」というべきである。
【2】「了解です」「感謝です」は、親愛も敬意もそなえていないように響く。短い応答で親愛を示すのはまちがっている。上司は短い軽躁な言葉で表現されたくない。
もっと慎み深く丁重に対せよ。「ありがとうございます」というより「このたび、まことに感謝申しあげます」といった方が心が伝わる。短くではなく、適宜、長く、言葉を動員せよ。
「違和感には、この2つの背景があるのです」梶原氏の解説は明晰だった。「ツイッターは140文字。短いと合理的です。スピードもある。これからどんどん短くなる。拍数が減る。ということは、並行して、丁寧さ、敬意、謙譲がどんどん減ずるということです」
※週刊ポスト2012年12月14日号