約80年前の発禁本で稀覯(きこう)本『エロエロ草紙』を執筆した酒井潔は、1895(明治28)年に名古屋で生まれた。画才があったうえ英仏の語学に堪能で、上京後は絵筆をとるばかりか、西欧の好色文献の蒐集に励んだ。『アラビアンナイツ』『らぶひるたぁ』など、著作には発禁本が目白押しだ。
『エロエロ草紙』執筆時の昭和初年の頃は、まさに酒井の創作意欲が最高潮に達していた。それだけに、官憲のマークも厳しい。同書も世に出る前に発禁処分となってしまった。
大衆文化論が専門の永井良和・関西大学教授に発禁の理由を尋ねてみたところ、意外なことに「エロエロ」のタイトルは特に問題視されなかったらしい。
「昭和初期における“エロ”には、最先端の響きがありました。だから堂々とエロを題名にして検閲をパスした書籍がたくさんあります」
1970年代の“ヤング”や1990年代の“デジタル”と似たようなものか。では、何がアウトだったのか。
「ビジュアルでしょう。表紙と扉絵、これが当時としては少々過激すぎました」
とはいえ、確固たる基準があったわけでもなかった。
「刑法の猥褻規定や出版法や新聞法といった法律の規定よりも、むしろ検閲官の主観によって大きく左右されていました」
※週刊ポスト2013年4月5日号