三國連太郎、享年90。昭和を彩った名優がまたひとり、去った。ワイドショーでは彼の奔放な私生活、息子・佐藤浩市との親子関係ばかりにフォーカスがあてられるが、まず語られるべきは役者としての功績だろう。
映画史・時代劇研究家の春日太一氏も、三國連太郎の芸の奥深さに魅せられたひとり。そんな春日氏は、2011年『鬼平犯科帳スペシャル』にゲスト出演した際の三國さんにインタビューを行った。わずか6分のインタビューに名優の原点を知る──。
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──『切腹』『関ヶ原』『利休』など三國さんの出演した時代劇を拝見しておりますと、座り姿に独特の迫力と気品があります。そうした所作は、どのようにして身につけられたのでしょうか。
三國:時代劇をやる前に、能を習っていましたから。ただ、僕は全くの素人から俳優になって、現代劇しかやったことがありませんでした。時代劇で最も勉強させていただいたのは、阪妻(※阪東妻三郎)さんです。最初にやった時代劇『稲妻草紙』(1951年)を含めて二本ほど一緒に芝居をやらせていただきました。
あの方には独特の発声があるわけですが、「あ、昔の時代劇の俳優さんはこういう芝居の入り方をしているのか。時代劇の本質とはこの辺にあるのかもしれない」と思ったんです。 それからは阪妻さんの見様見真似をしていましたから、僕は阪妻さんの物真似が上手いんですよ。
──今は、時代劇をできる監督も役者も少なくなってきた。この現状をどのように思われますか。また、どうすれば次世代の担い手は育つとお考えでしょうか。
三國:難しいのは、時代劇をお撮りになる演出家がほとんどいないことです。でも、過去には時代劇の名匠による名作があります。黒澤明はそれを現代調にアレンジした。ですから、今の監督もそうやって日本映画の中での時代劇の流れを勉強していけば、新しい時代劇というのは生まれてくるんじゃないでしょうか。
──過去に学び、それを今に活かすことが大切だと。
三國:はい。それしかないでしょう。今の俳優さんは歩き方から違いますから。腰が落ちていません。その辺は、見様見真似で身につけるしかないです。
──三國さんも、かつては阪妻さんの真似から入られたわけですからね。
三國:阪妻さんは僕が芝居をすると、本番でも笑っちゃうんです。それほど僕が下手だったのでしょう。
『稲妻草紙』は稲垣浩さんが監督でしたが、監督からは「ツマさん(※阪妻)とか、古手の時代劇の俳優と付き合いながら勉強したほうがいいよ」と言われました。それで、京都へ来る度に古手の方々―アラカンさん(※嵐寛寿郎)や伊藤大輔監督──のところに遊びに行って、それとなしに勉強させていただきました。
そうした過去のしきたりを身に付けた上で、その後はそういう部分をあえて切って、現代語で時代劇をやれれば、と今まで思ってやってきたわけです。
※週刊ポスト2013年5月3・10日号