日本の情感たっぷりに男と女の性を紡ぐ官能ポルノ映画「昭和エロスシリーズ」で知られるヘンリー塚本監督(70)はまた、創刊32年を経る熟年投稿雑誌「性生活報告」(発売元:サン出版)の愛読者でもある。次回作ではついに「性生活報告」の投稿を元にした映像化が実現するという。氏がこだわるのは、自身が生きてきた昭和という時代の男と女の性だった。(文/大木信景)
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僕は昔から「性生活報告」を拝読していて、読者の方から寄せられる生々しい投稿に共感を覚えていました。コラボレーションが実現したときは嬉しかったですね。同誌の何に惹かれたかといえばやはり、そこに昭和のエロスを感じるからなんです。
それは僕が常に掲げてきたテーマとも重なる。僕は、昭和という二度と戻らない時代のエロスを残そう、あの素晴らしい時代の情感が伝わる作品を撮り続けようとしている唯一人の監督だという自負がありますから。
昭和という時代は……自分自身は昭和18年生まれ、まもなく終戦を迎える、東京大空襲直前の亀戸で生まれました。2歳から中学2年時まで千葉県に疎開していたのですが、そこでの出来事が僕の原風景です。戦後の混乱と貧困の中で、誰もが懸命に生きていた姿。それが僕の脳裏に昭和として焼き付いている。そこに常に見え隠れしていたのが“性”なんですね。 貧しかったが、皆たくましかった。それが非常に官能的なんですよ。“生”は“性”と不可分。性というものは人間が生きている限りなくなることはない。
貧しさの中にこそ、豊穣な性がある。女性たちの服装もだらしなく、ちょっと屈むと乳房が見えました。パンティを穿いていない人も多く、洗濯などの日常の動作でヘアがチラっと見えることもある。最も脳裏に焼き付いているのは、赤ん坊におっぱいをやるところです。
授乳のためなら人前でも平気でふくよかな乳房を見せる女性。子ども心に「見てはいけないものを見た」と思うと同時に、非常にドキドキしました。
あるいは、どこの家も小さく、ひとつの蚊帳の中での生活でした。親戚の家に行ったときなど、おじさんとおばさんが性交している気配を感じたりしたものです。
また、当時は皆貧しいため、新婚であっても避妊用のサックを使っていました。しかし今のようになんでもゴミとして出せたわけではないので、使用済みのサックを捨てられず、毎日溜まっては3か月程度で新聞紙にくるんで山や川に投棄する人も多かった。僕らガキが、それを拾いに行くわけですよ。それをどうするわけではないのですが、100余の情交の残滓を前に得も言われぬ興奮を覚えましたね。
昭和のエロスは、こうした背徳感と生々しさが重要なモチーフとなっています。
僕はこれまで、こうしたエロスを描いてきた。汗ばむ夏であったり、嫁と舅であったり、戦時下であったり、シチュエーションこそ違えどノスタルジックでリアルなことには変わりありません。世の中には、ロマンがなく、非常に短絡的で深みのない作品も多くある。特に若い人たちはそうしたAVを求めているということも知っている。それでも、僕は人の心に残るポルノ作品を作っていきたい。
僕は自分の作品はAVではなくポルノだと思っているんですが、ポルノには品がある。物語がある。人間にとって性というものは必要なんだ、まさに人間の性なんだ、という熱い思いをもっと広い世代の人と分かち合いたいですね。
■ヘンリー塚本/1943年、東京亀戸生まれ。FAプロ創業者兼監督。1985年の設立から現在までに制作したタイトルは1900本以上。昭和エロスにこだわった作品に定評がある。男女のねちっこい「接吻」演出など、現在も唯一無二の世界観を表現し続けている。
※週刊ポスト2013年8月30日号