【書評】『アーサーの言の葉食堂』アーサー・ビナード/アルク/1680円
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
日本に長く在住するビナード氏の日常は、言語が潜在的に持つイメージの喚起力や、「その言葉の向こうにある実態」の観察に費やされてきた。ときに、英語を母国語としない私たちの使う英語が、偶然にも諧謔的な“諷刺”を生み出すことを発見する。
新青梅街道を自転車で走っていた時のこと。「WISH FOR HAIR」という英語が目に飛び込み「あわやサドルから落ちそうになった」。よくよくみれば、それはWISHという名の美容室の看板とわかったが、続く単語のおかげで、あたかもハゲの人に向けたメッセージに成り代わっていた。「髪を欲せよ」――。彼はこれを「和製英語の秀作」と絶賛する(各ページの証拠写真が秀逸)。
しかし彼の“言の葉”ハンティングは、単に「VOW」の世界では終わらない。詩人の自由な発想で、日本語を捉え直し、深い意味を導き出してくれる。
海外からの留学生らを相手に、ボラからトドまでの「出世魚」について講義した日のこと。広島駅から、路面電車に乗り換えて自宅に帰る途中、「つぎは原爆ドーム前」と車内放送が流される。星空に浮かぶドームを車窓から眺めながら、この「ネーミングがしっくりこない理由」について考えた。そこにボラの姿が重なった。「そうか、ドームは出世魚ならぬ『出世建物』といえるのかも」
鉄の骨をむきだしにするこの建物は、そもそも「広島県物産陳列館」だった。やがて県の「商品陳列所」、「産業奨励館」と名称を変え、一九四五年八月六日を境に「原爆ドーム」と呼ばれるようになる。そして“トド”のつまり、名称の最終形が、いまだ「核分裂という犯罪に終止符」を打てずにいる現実世界の矛盾にたどりつくのだ。
知らない単語に出会えば、語源にまでさかのぼり、「言語のハザマ」を見極める。そのうえで彼の詩人の感性が語らせる意味と解釈は、無意識のうちに日本語の不可思議さに浸かりきっているわたしたちの言語感覚を、小気味よく刺激し、覚醒させてくれる。
※週刊ポスト2013年9月13日号