【書評】『おはなしして子ちゃん』/藤野可織/講談社/1365円
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
今回の芥川賞を受賞した作者の短編集である。パステル調のカバー絵に、なんだか愛らしいタイトルだが、各編、呆れるほどダークでおぞましい(もちろん褒め言葉です)。受賞作の『爪と目』で、ある人を追いつめるラストが怖いと話題になった。
本短編集『おはなしして子ちゃん』も、学校の怪談風あり、超能力少女の疑似探偵小説あり、奇抜な人魚伝説あり、通り魔犯人の告白あり、現代美術を材にした奇譚あり、とバラエティに富んだホラーを楽しませてくれる。
表題作は、小学校のいじめっ子の視点で書かれる。物語としては復讐劇に発展して怖がらせるものの、本当にぞっとするのは、親に話を聞いてもらえないいじめっ子の語りにその狂気が滲みでてからだ。ホルマリン漬けの小猿の皮膚がずる剥けになっていく描写など、絶妙に気持ち悪いが、クリスプな文章が伝えるのは、語り手の情感の不気味な欠如である。
「アイデンティティ」は、かつて猿であり鮭であって今は人魚だという、哀しい生き物の「自我の分裂」とその戦いを描く。今日び軽率に使われがちなアイデンティティなる語への痛烈な皮肉がこもる。
「今日の心霊」という編は写真芸術論としても面白いし、「ホームパーティーはこれから」はSNSの中で肥大した自己の歯車が飛んでしまう風刺的な一編であり、「ある遅読症患者の手記」は流血版のイタロ・カルヴィーノといった趣……。
ところどころに、おかしな人称が出てくる。「私が私たちに迎えられた時に」とか、「おめえはおめえだ、断じておめえらじゃねえ」とか。あるいは同一人物が「私」と「あたし」に分かれていたりする。どの語り手も、自我が分裂したり、他者と同化したり溶解したりしてしまう。
ああ、思えば『爪と目』も、語り手の「わたし」が憎い義母の「あなた」に成り変わってしまう「語り」の歪みに恐ろしさがあった。話の落とし方は全般に抽象的だが、理性で感じる観念的な恐さと同時に、生理的な恐怖を抱かせるのが作者の得意技のようだ。何度も肌が粟立った。
※週刊ポスト2013年10月25日号