【書評】『帰ってきたヒトラー』上・下 ティムール・ヴェルメシュ著 森内薫訳/河出書房新社/1728円(上下とも)
【評者】福田ますみ(フリーライター)
あるのどかな夏の午後、ベルリンの野っぱらで突然目覚めたヒトラー。周囲に、ゲッべルスやボルマンら側近の姿はない。やたらガソリンくさい制服姿で(ヒトラーの遺体はガソリンをかけて焼却された)立ち上がったヒトラーは、総統地下壕を目指して歩き始めるが、どうも様子がおかしい。ふと手に取った新聞の日付を見て彼は仰天する。2011年だって?
歴史上の人物のタイムスリップものは小説の題材として珍しくないが、それがヒトラーとなると話は別である。ドイツにおいてヒトラーとナチズムは今もタブーな面があるからだ。彼の著作『わが闘争』は発禁、ナチス礼賛も法律で禁止されている。こうした制約下で本書が出版可能になったのは、ヒトラーを戯画化した風刺小説だからである。
現代に甦ったヒトラーは、本家本元に生き写しの(当たり前だ、本物なのだから)コメディアンと思いこんだ人々によって、あれよあれよというまにテレビスターに仕立て上げられてゆく。60年以上のブランクを持ち前の洞察力と適応力で乗り切る彼だが、第三帝国を背負って立つ指導者としての責任と自負が骨の髄まで染みついているため、人々との会話はズレまくり、話はやたら大げさになる。
現代の腰抜け政治家や腐った社会をこき下ろす弁舌は痛快だ。人々はそれを強烈なブラックジョークと受け取り、ユーチューブでのアクセス数は70万回を超える。
ヒトラーをあえて人間的に魅力的に描いたことで著者は批判を受けるが、こう反論する。「人々の多くは彼を一種の怪物として解釈してきた。だがそこには人間アドルフ・ヒトラーに人を引きつける力があったという視点が欠けている。人々は、気の触れた男を選んだりしない」
なるほど読者は、読み進めるうちにヒトラーと共に笑い、その巧みな話術に知らず知らずのうちに惹きこまれてゆく自分に気がつくはずだ。それはあたかも、熱狂的に彼を支持した当時のドイツの一般庶民の心情を追体験しているようである。
ヒトラーは言う。〈私という人物を総統に選び、祖国の運命を任せる選択をしたのは、他でもない市井の人々だ〉と。人類の歴史に大きな汚点となったヒトラーという存在。その存在を許した理由を解き明かすカギがこの小説にはある。
※女性セブン2014年5月1日号