現在、“夏の甲子園”の予選が全国で行なわれている。高校野球の大きな魅力といえば、弱小校による下克上や、強豪校のまさかの敗戦などの「大番狂わせ」。福井県で起きた番狂わせを紹介しよう。
前年まで10年連続で初戦敗退、最高でもベスト8止まりだった大野が1990年にミラクルを起こした。
豪雪地帯のために冬場はスパイクすら履けず、十分な練習量を確保できない環境だったが、1988年の山田栄司監督の就任が変革をもたらす。山田がかつて地元の中学校の野球部で監督をしていたこともあり、雪の少ない海岸部の高校へ進学していた有望選手が山田を慕って同校を選ぶようになった。着実に野球部は地力をつけていた。
エース・正津英志(後に中日、西武で通算25勝)の活躍で1989年秋の県大会に優勝すると、OBのひとりが廃工場に土を敷き詰めて室内練習場として提供した。そして1990年決勝の相手は春夏8連続で甲子園出場を続けていた福井商。この年も磐石の闘いで決勝に駒を進めていたが、正津が2失点に抑えて大野が甲子園の切符を手にした。
※週刊ポスト2014年7月25日・8月1日号