新聞に出てくる言葉といえば、正しい言葉だけだと思う人も多いだろう。自他ともに認める日本の高級紙・朝日新聞でも、紙面をじっくり検証してみると、誤用の例が出てくるのである。
STAP論文騒動を報じた時は〈画像データの切り張りや別の論文からの無断引用などが明らかになった〉と書いた(2014年3月15日付朝刊)。
そもそも引用は一定のルールの下で断わりなくするものだから「無断引用」という表現は誤り。「引用元を示さない引用」については「無断引用」と書いていいという見解もあるが、引用であることを明示していない「コピペ」であれば「剽窃」や「盗用」と同じだ。
〈「勝ち組」の街で、弱者の声はかき消されてきた〉(2014年2月3日付朝刊)
もともとは第二次大戦後の南米で日系人同士が「日本が勝ったか負けたか」で言い争い、勝ったと主張した者を「勝ち組」、負けたと主張した者を「負け組」と言ったところから始まる。作家で比較文学者の小谷野敦氏は「社会的な成功者を指して『勝ち組』と呼ぶのは誤用だが、1990年代頃から誤用されはじめ、すでに市民権を得てしまった。新聞が誤用し続けることで、それと知られずに一般化する言葉は実に多い」と言う。
自社による世論調査の結果を報じた特集に〈右傾化は際立たず〉という見出しがある(2013年12月29日付朝刊)。
右傾化は「馬から落馬する」「あらかじめ予定する」などと同様に、重言である。
一方、「至上命題」〈命題を課題や問題の高級表現として使う人は多いが、本来は事実をありのままに述べる平叙文で偽かを言えるもののこと。「すべてに優先して行う事柄を『至上命令』と言うが、この『命令』を誰かから命じられることと誤解した結果、『至上命題』になったのだろう」(小谷野敦氏の解説)〉は近年は見られないが、2010年以前は頻出しており、社説にも使われている。
第一次安倍政権が発足したばかりの2006年、2つの衆院補欠選挙で勝利したことを〈まずは合格点の安倍首相〉と評した社説はこう書いた。
〈一つでも取りこぼせば…求心力を失いかねなかった。「何が何でも2勝」というのが至上命題だった〉(10月23日付)
朝日の紙面から「至上命題」が消えた理由を小谷野氏はこう見る。
「至上命題は、2004年頃に調べた時はよくある誤用の本にも載っていなかったが、私はずっと誤用だと指摘してきた。言語学の権威である北原保雄氏が監修し、2007年に出た『問題な日本語 その3』に初めて載った。そこでようやく朝日も誤用として認識し、使わなくなったのだろう」
※SAPIO2014年8月号