日本が誇る「性愛芸術」として知られる春画は江戸時代の終焉と共に衰退した。だが、性を描く絵師たちの精神と、性的興奮を求める大衆の欲望が消滅したわけではない。「エロ文化」は、明治、大正から昭和、平成の現在へと、出版技術の進歩や表現方法の変化を取り入れながら生き続けている。
地下に潜った春画に代わり、エロ文化は大正から昭和初期の「エログロナンセンス」雑誌で花開いた。この時期のエロビジュアルは、虚無的で退廃的だ。
戦時下の表現弾圧の鬱憤を晴らすがごとく、戦後は「カストリ雑誌」と呼ばれる安価な大衆向け娯楽雑誌が世に溢れる。性生活告白記事やポルノ小説に加えて、女性の挿画や写真が多数掲載された。
そして昭和30年代に入り「低俗週刊誌」が台頭する。『土曜漫画』『週刊漫画TIMES』『漫画天国』などがその代表だ。エロ漫画と実話、ヌード写真が三本柱だった。「低俗週刊誌」はエロ漫画雑誌の元祖といってもいい。『増補エロマンガ・スタディーズ』(ちくま文庫)著者で漫画評論家の永山薫氏は指摘する。
「1950年代から1960年代にかけて、手塚治虫作品に代表されるように、漫画は子供のためのアイテムでした。そんな流れに対抗すべく、よりリアルで大人向けの『劇画』が誕生し、その支流がエロ漫画となるわけです」
当時、エロ劇画家と呼ぶことができたのは、1958年に『土曜漫画』でデビューし、『漫画天国』などで活躍した笠間しろう、緊縛画の第一人者といわれた椋陽児、時代物から猟奇物まで幅広く描いた歌川大雅の3人である。
1960年代半ばから、『漫画アクション』『ヤングコミック』『ビッグコミック』など青年劇画誌が続々と創刊され、劇画ブームは頂点を迎える。
この流れが1970年代の「三流劇画=エロ劇画」ブームを呼び起こす。版元は、青年劇画誌のヒットに飛びついた中小零細出版社。月刊で50誌以上、増刊や別冊、別冊増刊などを含めると100誌近いエロ劇画誌が出版され、総数は500万部を数えた。三流劇画誌は書店で販売され、エロ本やビニ本と一緒に自販機に並ぶものもあった。
当時の先駆的なエロ漫画家といえば、圧倒的なタッチで女体美を表現したふくしま政美がいる。榊まさるは肉弾劇画家、官能劇画王と称された。後に映画監督へ転身し、『天使のはらわた』シリーズを手掛ける石井隆は、この時代にエロ漫画家としてセックス描写の追究をスタートさせた。和服熟女を描かせたら右に出る者はいないケン月影や、欧州で高い人気を誇るつつみ進もベテラン漫画家として現在も活躍している。
群雄割拠する三流劇画誌の中で、御三家といわれたのは『劇画アリス』『漫画エロジェニカ』『漫画大快楽』。作家として活躍する亀和田武が『アリス』の編集長を務めていたほか、三誌では名物編集者が活躍していた。
※週刊ポスト2014年8月15・22日号