読売ジャイアンツが9年連続日本一という黄金時代を築いた時代、1968年のルーキーイヤーからレフトのポジションを獲得した高田繁氏は「壁際の魔術師」と呼ばれ、風貌そのままのスマートなプレーで球場を沸かせた。自らを「V9の末っ子」と表現する高田氏が、当時のチームの雰囲気について記憶を辿り、語った。
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V9メンバーでは僕が末っ子でした。年齢では高卒入団の堀内(恒夫)が年下だったけど、2年先に入団していてすでにエースだったし、態度もデカかったから(笑い)。
よく、V9メンバーは仲が良かったんですか? と聞かれますが、実はそうでもない。特に悪くはないが、グラウンドを離れればバラバラでしたよ。
例えば王(貞治)さん、柴田(勲)さん、国松(彰)さんはよく酒を飲む遊び仲間だったけど、長嶋(茂雄)さん、黒江(透修)さん、土井(正三)さんはそれほど飲まない。僕は試合が終われば早く帰って休みたいほうだったから、連れ立って食事に行くこともなかったし、誘われたこともあまりなかった。
その代わりグラウンドに出れば一丸になる。その意味では、やはりみんなが高いプロ意識を持っている。V9は一人一人が大人の集団だったといえます。
ただ、今のようにキャンプや遠征は1人部屋じゃないので、寝ている頭の上で長嶋さんが素振りをしていたといったようなエピソードは色々ありますね。僕の場合は王さんかな。1年目は柴田さんと同室、あとは若手の吉田(孝司)、小林(繁)とかが多かったけど、王さんと一緒になったことが一度あるんです。
※週刊ポスト2014年10月17日号