「人生最大の幸福は一家の和楽である。円満なる親子、きょうだい、師弟、友人の愛情に生きるより切なるものはない」とは、細菌学者・野口英世の言葉。40才・会社員女性が接した、とある男性の叶わなかった「いつか」の悲しいエピソードを紹介します。
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独身の私は週末の寂しさが耐えられず、5年前に思い切ってハイキングの社会人サークルに参加しました。メンバーの中には、私と年齢が近く、独身の男性Aさんがいました。同世代ということで、サークル内の仕事もふたりで行うことが多く、自然とよく話すようになりました。
でも、私には彼にひとつだけ気になることがありました。「いつかは剱岳に登りたいんだ」など、「いつかは」というあいまいな表現を使うことがあまりに多かったのです。
ある時、私はどうしても我慢ができなくなって、「やりたいことがあるならすぐにやってみれば」と彼に言いました。
すると、彼は残念そうに笑ってこう言いました。
「母を介護してるんだ。母に心配かけたくないから、しばらくは無理なんだよ」
私は彼のことを知ってるつもりで何も知らなかったのだと気付かされました。
その後、私は仕事が忙しくなり、サークルを休んでいました。そして半年ぶりに顔を出すと、Aさんの姿がありません。彼は体調を崩し、入院していたのです。
サークルの会長に入院先を聞き、私はすぐにお見舞いに行きました。病室の彼を見て、私は愕然としました。筋肉質で体の大きかった彼が見違えるほどやせ衰えていたのです。壁には、剱岳の写真がたくさん貼ってあり、「治ったら絶対に登るんだ」と目を輝かせていました。
その時の彼は、口癖だった「いつかは」という言葉を一度も使いませんでした。夢を楽しそうに語る姿は元気そうで、私は安心しました。
「まずはリハビリを兼ねて富士山に一緒に登ろうね」
私がそう言うと、彼はうれしそうに笑っていました。
その翌週も私は彼のお見舞いに行きました。しかし、彼がいるはずの部屋に人の姿はありませんでした。
「Aさんは今週のはじめに亡くなりました」
看護師さんに尋ねると、そう告げられました。お見舞いに行った数日後でした。彼の病いはすい臓がん。42才と若かっただけに進行が早かったそうです。息子を亡くされたお母さんのことも心配でしたが、未来を語っていた時の彼の気持ちを思うと、いたたまれなくなりました。お葬式にはサークルのメンバー全員で参列し、彼が憧れた剱岳の写真をたくさん棺に納めました。
※女性セブン2015年7月30日・8月6日号