懸案だったTPPが大筋合意に達した。だが日本の農業など一次産業への影響はまだ不透明だ。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が解説する。
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5日、アメリカで行われていた環太平洋経済連携協定(TPP)交渉が大筋で合意に至った。発効されれば、加盟国間での輸入製品にかかる関税は原則撤廃され、貿易が活性化される。各国が国内産業保護のため、国産品が有利になるよう設定してきた関税が大きく変わる転換点を迎えることになった。
そもそも自民党は2012年の総選挙時には「TPP反対」を掲げていたものの、政権奪取後は方針を転換。翌年には交渉に参加することになった。
今回の「大筋合意」直後、メディアの報道は「大筋合意の内容」「輸入品目の変化(国内の消費者目線)」「輸出産業へのメリット」「対中国対策としての経済圏の意味」などに紙幅や時間を割いた。事前にあれほど騒がれていた農林業、漁業、畜産業など「食」にまつわる報道の量が少なくなった。
「大筋合意」以前は反対派の集会や、デモ報道がなされていたが、直後のタイミングでそうしたわかりやすい「絵」はそうそう撮れない。反対派にしても、「大詰め」だと報道されていても、「合意」にピタリとタイミングを合わせて大規模な気勢を上げるのは難しい。
実際、直後の報道を見ても、農業などの一次産業に関する主要各紙の記述は申し訳程度で、しかも漠然としていた。
〈専業農家「影響大きい」不安も〉(読売)、〈「コメ聖域」何だった――農家困惑〉(毎日)、〈農家、輸入品と価格競争〉(朝日)、〈米・畜産、競争の風〉(日経)、〈農家、海外産の流入不安〉(東京)などお決まりの見出しとともに、酪農家やコメ農家の漠然とした不安や「補助金がなければやっていけない」という声ばかりが掲載されていた。
メディアが解決策をひねり出す必要はないかもしれないが、ただそこにあるわかりきったはずの不安を拾い集めるのが報道の役割なのだろうか。
昭和の頃は、少なくとも現代より「生産者」全般に対するリスペクトはあった。米粒を残せば、「お百姓さんに申し訳ないと思わないのか」と顔が見えない作り手も共感を促す装置として機能していた。だが人はそれぞれ別のコンテンツに共感するようになった。もはや「巨人・大鵬・卵焼き」の時代ははるか昔だ。
「ムラ」の総意が個人の意見を代弁していた社会は、「個」ありきに意識が変化した。国内の空気は一枚岩ではない。「われわれ日本人は!」と雄叫びを上げても、共感が得られるどころか「アンタと俺とは違う」と反感すら買いかねない。世論を動かすエネルギーの種類は時代とともに移り変わっている。