日本の総理大臣の演説力はどの程度のものなのだろうか。人々の記憶に残る名演説、名フレーズはあるのだろうか。戦後の総理大臣33人が国会で行った所信表明・施政方針演説を集めた『1945~2015 総理の演説 所信表明・施政方針演説の中の戦後史』(バジリコ株式会社)監修・解説を担当したベテラン政治ジャーナリストの田勢康弘氏に、アメリカの大統領の演説との比較をきいた。
──アメリカの大統領と比べると、総理の演説レベルはどうですか。
田勢:残念ながら、全体として低いと言わざるを得ない。説得力にもウイットにも欠けます。内容の印象も薄く、生で演説を聞いた私ですら、読み返してようやく思い出す程度。リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」、ケネディの「国があなたに何をしてくれるかではなくあなたが国のために何ができるかを考えよう」が世界中の人に知られているのとは対照的です。
マスコミでは昔から「政治家の演説は床の間の天井」と言われています。ないと格好がつかないが、ふだんは誰も見向きもしないという意味です。
──レベルが低い理由は何ですか。
田勢:不言実行が尊ばれるように日本は言葉が重視される社会ではありません。政治家でも本格的な演説の訓練を受けていないし、アメリカの政治家に比べたら国民に向けて喋る意識も希薄。それに、スピーチライターという職業も確立されていません。
ホワイトハウスには10人ほどのライターがいて、大統領就任演説などの重要演説を書くと、名前、経歴、顔写真などが正式に公表されるし、優秀な人には多額の報酬が政府の予算で、つまり税金で支払われる。演説原稿に特別な報酬が支払われないであろう日本とは大違いです。
私は父親の方のジョージ・ブッシュ大統領のスピーチライターを務めたペギー・ヌーナン女史の仕事ぶりを取材しましたが、大統領選のときから「寝室と風呂以外は一緒」と言うくらいブッシュに密着していました。それによって考え方から食べ物の好みに至るまで把握し、最後は本人になりきる。その段階で就任演説を書くので、本人以上に本人らしい内容で、しかもプロならではの素晴らしい表現になる。
聞く側の意識も日本とは違う。国民はスピーチライターの存在を知っていますが、それでも演説の言葉は大統領のものとして受け取っています。政治は言葉です。日本の社会がそのことを認識するようになれば、政治家の演説のレベルが上がり、政治そのものも変わるはずです。
(文中敬称略)
取材・文■鈴木洋史(ノンフィクションライター)
※SAPIO2015年11月号