たった一人の人物の、積み重ねた努力、計算ずくの駆け引き、起点を利かせた行動が、国や世界を動かすことがある。歴史の流れを変えた人物たちは、どんな外交を展開してきたのか。ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(1923-)のエピソードを紹介しよう。
冷戦下のニクソン政権、フォード政権における「忍者外交」で世界を驚かせた男。
ベトナム戦争が泥沼化していた1969年1月、大統領に就任したニクソンは大統領補佐官のキッシンジャーに中国との関係改善を指示するメモを渡す。情報漏洩を怖れたキッシンジャーは外交を担当するロジャース国務長官と国務省には一切知らせず、まったくの水面下で中国との交渉を重ねた。
迎えた1971年、キッシンジャーがついに動く。ベトナム、タイ、インドに続き訪れたパキスタンで「胃腸を悪くしたので48時間治療に専念する」として公の場から姿を消す。
同行記者団を煙にまいたキッシンジャーは秘密裏にパキスタン大統領専用機に乗り込んで北京を訪問し、周恩来と極秘会談を行った。これを受け、1972年2月にニクソンが米国大統領として初めて中国を訪れ、歴史的な米中共同声明(上海コミュニケ)を発表した。
この後、キッシンジャーは米中和解を外交カードとして、戦争相手の北ベトナムを国際的に孤立させ、アメリカの悪夢だったベトナム戦争を終結に導いた。この功績で彼はノーベル平和賞を受賞した。
※SAPIO2015年12月号