誰もが名前を知っている歴史上の偉人たち。でも、彼らの懐事情となると知っている人はそう多くはない。
『日本人の給与明細 古典で読み解く物価事情』(角川ソフィア文庫)の著者である山口博・富山大学名誉教授、そして歴史研究家で文教大学付属高等学校教諭の河合敦氏の協力のもと、「偉人たちの年収ランキング」を作成した。
トップ3は、織田信長(1750億円)、徳川家康(1000億円)、豊臣秀吉(555億円)の順。信長ら大名のものは石高に特別な計算を行なって算出した。やはり、三英傑と呼ばれるだけあってケタ外れの数字だ。ベスト10は4位以下、上杉謙信、武田信玄、伊達正宗、徳川光圀、石田三成、真田昌幸、藤原道長となっている。
ベスト10圏外でも特筆すべき人物はいる。
22位の大石内蔵助(3750万円)が赤穂浪士を率いて吉良上野介邸へと討ち入った時、その費用に691両(約7000万円※注)かかったとの文献が残っている。その多くは江戸、京都、大坂、赤穂と各地に散らばった同志と連絡を取るための滞在費や交通費に使われたという。
【※注/江戸初期の1両は現在の10万円、幕末の1両は現在の1万円として計算】
21位・東条英機(4800万円)や23位・山本五十六(3300万円)のように、第二次大戦期に要職に就いていた人物の給料は武将と比べると際立つものではない。
だが1943年、東条が総理大臣だった時の年収が9600円(現在の価値で約4800万円)なのに対し、公務員の1年目の年収は600円(同300万円)と、格差は約16倍もあった。
24位・近藤勇が率いた「新撰組」は役職によって金額が異なっている。河合氏が解説する。
「隊士だった永倉新八が残した『新撰組顛末記』によれば局長は年収600両(約600万円)、副長480両、ヒラの隊士は120両となっています(初期は会津藩から、後に幕府から給料が出た)。他に、大きな手柄をあげると褒賞金が出ていました。
例えば、長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を襲撃した『池田屋事件』では、その功績により会津藩から総額500両(約500万円)、幕府から総額600両(約600万円)のボーナスを受け取っています(金額は諸説あり)」
25位は坂本龍馬。日本初の株式会社ともいわれる「海援隊」の月給は、新撰組とは対照的に身分の上下なく平等だったという。
それにしても、年収で60両(約60万円)。海援隊の前身である亀山社中時代は年38両4分(約38万4000円)だったというからそれよりはマシだが、幕末のヒーローの給料としてはいささか寂しい。
※週刊ポスト2016年3月25日・4月1日号