五十代でおよそ半数が発症するという白内障は、万が一悪化しても、“日帰り”手術で“簡単”に“すぐ治る”──。そう気楽に考えている人も多いだろう。しかし、手術後、いつまでも違和感が拭えずにいる人も実は少なくない。著書『後妻白書 幸せをさがす女たち』が話題のノンフィクション作家・工藤美代子さんもその一人。三月に両眼を手術したばかりの工藤さんが、自らの体験を綴った。(第二回、全三回)
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◆患者の期待と現実の間にギャップが出来るのはなぜか
次の手術までの一週間は悲惨だった。左眼は手術のお陰でどんどん見えるようになる。ところが右眼は相変わらず〇・〇六だから、なんともバランスが悪い。パソコンの画面もテレビも新聞も、すべて見えない。
三年ほど前に亡くなった私の兄は幼い頃から全盲だった。初めて兄の気持ちがわかったような気がした。眼が不自由だと、こんなにもイライラするものか。いったい私の眼は普通に見えるようになるのだろうか。
左眼の一週間後には右眼を手術した。翌日の検診では順調に両眼ともに回復していると診断された。実際、夫の顔が手術前と違ってはっきりと見え、思わず夫に「その顔のシミ、どうしたの?」と言ってしまったほどだ。が、時間が経つにつれ、どうにも腑に落ちなくなっていった。
まず、眼がしょっちゅうゴロゴロしている。ときどきズキズキと痛む。ゴキブリほど大きくはないが蚊がまた飛び始めた。なぜか術後の方が、眼がしょぼしょぼして辛い。これまで見えていた近くのものが、ぼんやりとしか見えない。白い光の輪が浮かんだり、太陽が眩しい。
えっ、いったいどうしたんだろう?と考え込んだ。友人たちは術後も特に問題はないと言っていた。でも待てよ。友人といったって、たった四人ほどに聞いただけだ。もしかして手術の失敗だってないとは限らない。
不安で夜も眠れなくなった。眼は私にとって商売道具だ。このままの症状が続いたら、とても原稿は書けない。
本来なら、手術を執刀してくれた医師に尋ねてみれば良いのだが、そのクリニックには患者が何か質問するのをためらわせるような雰囲気があった。医師は親切だし、優秀だと思うが、何しろクリニックは大繁盛で、たくさんの患者が門前市をなしている。くどくどと医師に質問していては、他の患者の迷惑になる。といって、看護師や男性スタッフたちは、疑問点を尋ねると露骨に不快な表情をした。マニュアル通りの説明以外の返答は、避けようという姿勢なのが、はっきりとわかる。
それならば、気持ちよく疑問に答えてくれる眼科に行ってみたいと考え、思い出したのが旧知の堤篤子先生のことだった。