「子供」なのか「子ども」なのか。言葉の表記の問題は、右傾化とリベラルの問題につながっていく!? コラムニストのオバタカズユキ氏が考える。
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このところ子供について「あれ?」とよく思う。大人の対義語としての子供、幼い者たちという意味での子供について首を傾げているわけではない。「子供」という表記について、風向きの変化を感じるのだ。
ライターや編集者の仕事をフリーランスでやってきてずいぶん経つが、かつては雑誌や新聞などで「子供」と書くと、けっこうな確率で「子ども」への修正要求が来たり、勝手に編集部が書き換えたりしたものである。その度合いは媒体によって違い、雑誌だと女性誌、新聞ではどこでもだいたい「子ども」のほうの使用を基本としていた。
それが、ここ数年、「子供」のままでたいてい通るのである。良くも悪くも編集部チェックの甘い、ウェブ媒体の仕事が増えたからかもしれないが、オールドメディアの仕事でもあまり修正を要求されない。
以前は、自分が「子供」を使いたい理由の説明がとても面倒だった。逆に「なぜ“子ども”の表記がいいのですか?」と問うのも喧嘩を売っているみたいになるので、「うちの表記基準は“子ども”なんですよ」と言われた場合は、「あ、そうですか。わかりました」と引き下がることのほうが多かった。いちいちそこで引っかかっていたら、フリーランスの商売は回らないのだ。
では、なぜかつては、「子供」ではなく「子ども」表記を好む媒体が多かったのか。互いに余裕があるとき、先方の編集者のココロを聞いてみると、だいたい次の二つの理由からそう志向していた。