「私の自宅は首都コトヌーから北へ車で数時間行ったところにあります。そこに向かう間も、知らない番号からの電話は続きました。私が自宅に着く前の深夜11時過ぎ、敷地内に怪しい人影が複数いることに近所の親戚が気付き、警察に通報しました。その後駆け付けた警察との間で、銃撃戦が起きたそうです。彼らは警察により、その場で射殺されました」
ゾマホン氏の自宅にいた“銃を持った男たち”の素性や目的などは不明だが、ゾマホン氏がもしその場にいたら、命が危険に晒されたであろうことは容易に想像できる。
そうした事件のほかにも、「政権交代」の引き金になりかねないゾマホン氏や野党候補者の出馬を、何としてもやめさせようとする“力”が働いていたようだ。
「野党を選挙から締め出す4月以前から、政権側は信じられないような立候補の条件を課していました。選挙に出馬するための供託金として、立候補者それぞれに2億4900万CFAフラン(日本円で4980万円)を払うよう求めたのです。こんな大金、ベナンで用意できる人は誰もいません(編注:ベナンの国民1人あたりの年間所得は約9万円)。それでも私は何とかそのお金をかき集めて立候補しました。
全国で選挙活動をしている間も、政権側の嫌がらせは続きました。私がベナンに設立した『たけし日本語学校』周辺に自動小銃を持った30人以上の軍人が現われ、3月からの1か月間、24時間の監視体制が敷かれたほどでした」
選挙から野党が排除された後は、ヤイ・ボニ前大統領と共に有権者に「選挙のボイコット」を呼び掛けたゾマホン氏。その間、地方の田舎の村々にまで軍が派遣された。これはベナンの国政選挙で初めてのことだという。
「投票日の数日前には、ベナンで一番大きい市場に出向き、現政権による選挙制度の改悪に反対する演説を始めました。大きな人だかりができたところで、見張っていた軍の部隊が我々を取り囲んだ群衆に向けて催涙弾攻撃を始めたのです。私とヤイ・ボニ前大統領らはボディガードと共に車に乗り込み、その場を離れざるを得ませんでした」
ベナンの混乱は選挙後の現在も続いている。