公開日:2021.09.21   

高木ブー「軍用機に乗ってアジアの米軍キャンプをめぐった」若き日

「立川の米軍基地から軍用機に乗って、台湾やフィリピン、返還前の沖縄にも行った。お尻が痛かったな」――。大学を卒業後、そのままプロのミュージシャンになった高木ブーさん。昭和30年代前半は、各地の米軍キャンプでステージに立った。初めて飲んだコーラの味……。ブーさんが「20代の日々」を語る。(聞き手・石原壮一郎)

高木ブー
ドリフのメンバー、ウクレレ奏者、画集の発売…マルチに活躍する高木ブーさんが自身の20代を振り返る(撮影/菅井淳子)

就職先が決まっていたが、音楽の道を選んだ

「お前の夢なんだったらしょうがない」

 大学を卒業する前に僕が「音楽で食っていきたい」と告げたら、親父はひと呼吸おいて、そう言ってくれた。あちこちに頭を下げて東京ガスへの就職を取り計らってくれてたんだけどね。きっと心配だっただろうけど、やさしく許してくれた親父には感謝してます。

 学生時代も「ルナ・ハワイアンズ」っていうバンドで、ダンスホールやクラブで演奏してた。プロになることを決めて結成したのが「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」。本名は「友之助」なんだけど、古臭い響きが好きじゃなくて自分で「智之」という芸名を考えたんだよね。

高木さんがプロとしてスタートを切ったバンド「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」(写真提供/高木ブー)

 当時は日本各地に米軍が駐留してて、ハワイアンは軍人さんに大人気だった。今日は厚木、明日は横田って感じで、毎日忙しかったな。所属していた事務所は、バンドと女性ダンサーと、マジシャンや漫談ができる人を「お徳用詰め合わせ」にしてキャンプに売り込んでた。

 言われた時間に東京駅の八重洲口とか新宿駅の南口に行くと、米軍のトラックが迎えに来る。荷台に乗せられて、その日に仕事がある基地に向かう。集合場所にはたくさんのミュージシャンが集まってた。「拾い」っていうキャンプの仕事を斡旋してくれる人がいて、「横須賀、ベースいないか?」なんて声をかけると、すぐに即席のバンドが誕生する。新宿南口には、小さな物置小屋で楽器を預かる商売もあった。まだ闇市の気配も残ってて、混沌としてたけど独特のエネルギーにあふれた光景だったな。

「ワールドツアー」にも何度か出かけた。「お徳用詰め合わせ」のメンバーで、台湾やフィリピン、返還前の沖縄に行ってキャンプで演奏する。立川にあった米軍の飛行場で軍用機に乗り込んで、パラシュートを背負わされてね。旅客機じゃないから揺れも激しかったし、時間もやたらかかった。何より座席が硬くてお尻が痛かったのを覚えてる。

 海外のキャンプに着くと、だいたい1か月ぐらいいたかな。日本国内でも同じだけど、キャンプの中にはサービスクラブ、一般兵のクラブ、下士官クラブ、将校クラブと4つのクラブがあった。僕らのチームは、今日はこっち明日はあっちと、夜はどこかのクラブのショータイムにゲストとして出演する。どこもお客さんのノリがよくて演奏してて楽しかったな。

 コカ・コーラもハンバーガーも巨大なステーキもタバコの「ラッキーストライク」も、米軍キャンプで出合った。コーラを初めて飲んだときは「不思議な味だなあ」と思ったな。でも、独特のおいしさに妙に惹かれたんだよね。富士あたりの演習場に行って演奏することもあったんだけど、ビックリしたのがトイレ。隣りとの壁がなくて、座って用を足しながら隣りの人と話ができる。あれは最後まで慣れなかった。

 キャンプの中にいる分には、ほとんどお金はかからない。ギャラとは別に1日5ドルの手当てが出て、1ドル360円だったからだいたいはそれで足りた。ギャラがそのまま残ったのはありがたかったな。言葉も通じないからあんまり外に飲みに行かなかったけど、沖縄では踊れるお店に何度か行った。当時は車が右側で、お金もドル。繁華街には米兵があふれてる。日本語は通じても、やっぱり「アメリカ」だったんだよね。

沖縄の米軍キャンプ「キャンプ・ズケラン」で(写真/高木ブー)

 昭和30年代半ば頃になると、日本の音楽シーンが大きく変わってきた。エルビス・プレスリーの登場でロックンロールが注目されたり、ダーク・ダックスやデューク・エイセスがやってたジャズ・コーラスが人気を集めたりね。僕らも新しいことをやってみようと、同じメンバーで「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」に生まれ変わった。

「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」として、新たなことにも挑戦した(写真提供/高木ブー)

 この頃は、試行錯誤の時期だったな。しばらくすると、また物足りなくなってきた。その頃、アメリカで「フォー・フレッシュマン」っていうコーラスグループが人気で、カッコよかったんだよね。あれをやろうとメンバーを一部入れ替えて「ニュー・フレッシュマン」を結成した。うーん、我ながら安易なネーミングだな。

 それもしっくりこなくて「どうしたもんかな」と思っている頃、前回話したように、ジェリー藤尾さんに声をかけられた。それが29歳のとき。振り返ると、迷走の20代だったな。でも、すべてが貴重な経験だったし、毎日が刺激的で楽しかった。夢も希望もいっぱいだったしね。自分としては「いい20代を過ごしたな」って満足してます。

ブーさんからのひと言

「僕の20代。今振り返ると、すごい経験がたくさんあったと思う。試行錯誤の日々だったけど、とても充実していました。夢と希望があったからね」

高木ブー(たかぎ・ぶー)

1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『Hawaiian Christmas』『LET IT BOO』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評。6月に初めての画集『高木ブー画集 ドリフターズとともに』(ワニ・プラス)を上梓。毎月1回土曜日20時からニコニコ生放送で、ドリフの3人とももクロらが共演する『もリフのじかんチャンネル ~ももいろクローバーZ×ザ・ドリフターズ~』が放送中。11月18日には日本武道館で『ドリフ&ももクロ ライブフェス』の開催が決定!

取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)

1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方」が好評発売中。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。

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