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2011.09.08 07:00  週刊ポスト

紳助 気脈通じたスタッフばかり指名し番組私物化とTV関係者

 芸能界引退事件の全貌が明らかになるにつれ、伝わってくるのが、自分をより大きく見せたいという島田紳助の虚栄心、そして、その裏に透ける小心さである。そのメンタリティはいかにして醸成されたのか。

 紳助の父親は大阪外語大学から国鉄入りした鉄道マン。父親は紳助に期待し、小学3年生から家庭教師をつけるほどだった。しかし紳助はそれがプレッシャーとなり、不良に走った。紳助にとっては、まじめな父親は反面教師の対象でしかなかった。

 芸能界入りした後も、父の呪縛からも逃れていなかった。1982年に突如、東京大学への受験を宣言。受験会場で受験阻止を訴えるグループが現われる騒動が起きて断念したが、当時を知る関係者によれば、「話題作りもあったけど、本気で勉強していた。番組企画を超えた“危うさ”もあった」。

 1990年に『サンデープロジェクト』の司会を引き受けたのも“学歴コンプレックス”と無縁ではないだろう。

 番組関係者は語る。

「紳助さんは収録前夜に1時間半の勉強を義務づけ、重要キーワードをまとめたプリントまで作っていました。番組打ち合わせでは、疑問点があれば、田原(総一朗)さんや舛添(要一)さんに質問していた」

 インテリ政治家と対峙できたことは、彼の自負となった。学歴への執着が3人の娘の教育にも投影されたのか、それぞれが関西の有名私大に進学している。

 しかし、父から自由になりたかったゆえに、選択したのが芸人という人生だったはずだ。彼の進路に、迷いが生じたのはなぜか。

 在阪テレビ局関係者の話。

「長く芸能界にいるうちに、周りの芸人が消えていった。そしてその穴を埋めるように新たなスターが登場する。ここで自分が死んでも、すぐに代わりがでてくると病床で思ったんでしょう。よく紳助さんは、『タレントに必要なのは売れなくなったときのノウハウ。だから俺は副業をやっとる』と周囲に語っていた。逆にいえば“売れない恐怖”と闘っていたんでしょう。いつしか番組でも気脈が通じたスタッフばかり指名するようになり、番組を私物化していった」

 2004年、吉本興業のマネージャー殴打事件によって謹慎処分を受けた“裸の王様”に対して、周囲の視線は冷たかった。復帰後、人間不信に拍車がかかった。

 そして今回の事件――。

 前出の、京都の実家近くに住む住人はこう嘆いた。

「今度のことではアイツの親父が一番悲しんでるんやないかな。手を焼いてきたけど、やっぱりそこは息子やからね。活躍する姿を見て、誇らしかったと思うよ」

 カネは残った。しかし、それ以上に大切なものを失った紳助に、父はどんな言葉をかけたのだろうか。

※週刊ポスト2011年9月16・23日号

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