■気の荒い客と大立ち回りの連続
そんな渡辺さんだが、昔話を聞いてみると、客は家族でも仲間でもなかったという、信じられないエピソードがぽろりと出てきた。
創業は明治38年(1905年)というから、あの日露戦争の終わった年だ。明石にいた祖父が、地酒・鼓正宗を商うために西国街道沿いのこの場所で酒屋を始めた。土地の長老の話では、扱っていた味噌をアテに、当時からコップで立ち呑みが出来たという。渡辺さんはその4代目。秘密をばらしてしまうと、実は養子に入っているのだ。
「養子にきたときは、私、郵政省貯金局勤務のれっきとした公務員。酒屋を継ぐ気なんて全然ありませんでした。2代目の父が亡くなり、あとを支えていた3代目の母が今度は体調を崩してしまって。しかたなくという感じで、昭和41年に31歳で4代目を継いだんです。
こっちは商売人としてはド素人のくせに向こうっ気だけは強い若造。客は、新開地という土地柄、気の荒い港湾労働者ばっかり。2日に1っぺんは大喧嘩してましたね。
パトカーに乗せられたこともあるし、カウンターには、客が振り回してビールびんをぶつけた傷跡が今でも残っています」
大立ち回りを演じながらも、それでも足繁く通ってくる客たちに、結果的に商売のいろはやコツを教えられ、いつの頃からか、気持ちも丸くなり、誰からも慕われるお父さんになっていった。4代目となって45年。創業106年を超えた店には、もはやアクションシーンはなく、穏やかな温もりだけがある。
ただし、お父さんと慕う男たちの間に、今、一抹の不安が頭をもたげている。渡辺さんが、「私の子どもも孫も女ってこともありまして、私でこの店の歴史を閉じるつもり。あと4年、80歳が定年、潮時だなと思うんです」と、80歳定年説を唱えているからだ。
当然ながら、「大将が元気なうちは開けとってくれなきゃ」「冗談じゃない。ここがなくなるなんて考えたこともない」と、仲間たちのだれひとり、それを認めていない。
ただし、渡辺さんは、平成18年に、安く酒が飲める庶民の味方でもあり文化でもある立ち呑みができる酒屋の廃業が相次いでいる現状を憂い、「神戸小売酒販組合生田支部立ち呑み部会」を立ち上げた。お互い商売敵ではあるが、今は手をつないで、この文化を残していかなくてはならないという趣旨だ。
そして、「神戸の震災で、店がめちゃめちゃになりましてね。途方に暮れていたら、みんなが早うに助けに来てくれた。そう簡単に閉めさせてくれんだろうね」と呟いてもいる。
だからおそらく、80歳定年説は立ち消えになるだろう。
■渡辺酒店
【住所】神戸市中央区相生町5-14-10
【電話】078-575-5521
【営業時間】12時~21時
【定休日】日曜・祝日
焼酎ハイボール150円、ビール大びん360円、日本酒200ml 240円。アテは缶詰200~230円、乾き物70~100円中心。冬季限定メニューの湯豆腐150円、茶碗蒸し280円、粕汁360円が、熱々トリオとして大人気。