「女人禁制」で知られる奈良県・大峰山。「世界遺産」に「登山ブーム」も重なって、さぞかし盛り上がっているかと話を振ると地元民の顔が曇る。ノンフィクション作家の高橋幸春氏が揺れる山の実態をレポートする。
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「〈オカマさん〉のグループが来て、〈私たちは登っても構わないんですか〉って聞くんですよ。千三百年の歴史を茶化しているとしか思えなかった」
洞川温泉の区長でもあり、旅館「角甚」の経営者でもある角谷甚四郎さんは、苦笑交じりに言った。
「女人禁制を守ってこそ大峰山で、女性を入れることには反対です」
大峰山は修験者の山として知られ、主に近畿地方の人たちが講を組織して、五月初旬の「戸開け」から九月下旬の「戸閉め」まで大峰山に「山上参り」をする。洞川温泉には修験者たちが宿泊する旅館が、山間のわずかな土地に軒を連ね、どの旅館も長い歴史を感じさせる風情が漂っている。
「山上参り」の四コースの入口には女性の登山を拒む「女人結界門」が建てられている。「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されると、女性の登山を認めないのは差別だと批判の声が上がった。
遺産登録から八年、三月中旬だというのに洞川温泉一帯は五、六センチの積雪。旅館街から四キロのところにある大峯大橋を渡ると「女人結界門」だけではなく「従是女人結界」と彫られた石碑まであった。
「女人禁制」を破ろうとした歴史はかなり古くからあり、一九〇二年には神社司の娘が登山を試み、一九二六年には女子師範学校の学生が男の格好をして試みるが失敗。しかし、二〇〇〇年には女性にも山を開放しようとする大きな動きがあった。そのへんの事情を竹林院の住職、福井良盟氏はこう語る。
「三本山が女人禁制を解くと決定したことがあります」
大峰山を管理しているのは聖護院、醍醐寺三宝院、金峯山寺の三本山に、龍泉寺、竹林院などの五護持院、八州役講などの講組織。
「開放は急遽取りやめになりました。三本山は説得できると思って進めていたようですが、講、特に八州役講の強硬な反対を受けたからです」
開放への動きは地元にも伝わり、旅館「紀の国屋甚八」の七代目経営者で、観光協会会長を務める紀埜弘道さんらは当時、修験者にアンケート調査。
「七割か八割の人が反対すると思っていましたが、六対四で開放派が四割、ショックを受けた記憶があります」
以前はバスやタクシーを何台も連ねて洞川温泉にやってきた修験者たち。
「三本山、五護寺院、そして講の意見を一つにまとめる作業はホントに大変なんです」(福井氏)
洞川温泉は反対で一致しているようだ。しかし、その裏にある本音を地元のタクシー運転手はこう語る。
「講の人たちは毎年決まった旅館に宿泊してくれた。それで経営は成り立ってきた。でも修験者たちの高齢化に伴い、その数は明らかに減っている。さりとて女人禁制を解いたからといって客が増えるかといえば未知数。部屋の造りは何人もの修験者が泊まれる大部屋で、普通の温泉旅館にはすぐ変われない事情もある」
大峰山の「女人結界」はこうして今も守られていた。
※週刊ポスト2012年4月6日号