「きんは100シャア、ぎんも100シャア」。そんな名セリフで日本中を沸かせた双子の100才、きんさんぎんさん。あれから20年が経ち、ぎんさんの4人の娘たちもいまや平均年齢93才、母親譲りのご長寿だ。彼女たちに当時のブームのころのふたりを振り返ってもらった。
2000年の暮れの12月28日、ぎんさんは、38度の熱が下がらなくなり、すぐに主治医が来て点滴の処置が行われた。
三女・千多代さん(94才):「新しい年が明けて、あれは1月3日だったかな。おっかさんが“ご飯もいらん”“水も飲みたない”ちゅうて困っただがね」
栄養剤と、肺炎を防ぐための点滴が施された。そのとき五女・美根代さん(89才)は主治医にこう告げた。
「うちで母を介護しますから、どうなっても入院はしません。自宅の畳の上で自然に最期を迎えさせてあげたいんです」
それは、4姉妹で以前から約束したことだった。そんな娘たちの気持ちに応えて、ぎんさんは必死で起き上がると、ベッドに腰かけて、両手をベッドにつけたまま、腰を上げ下げする練習を始めた。
五女・美根代さん(89):「たいていの年寄りなら寝ついて歩けなくなるのに、1月の終わりには、手を添えれば歩けるようになった」
そんなぎんさんも、2月の半ばになると、とうとう寝たきりになった。
四女・百合子さん(91才):「あれは亡くなる3日前の2月25日やった。おばあさん(ぎんさん)の顔相が変わってる、これは危ない、そう思うて、私が泊まって添い寝をした…」
翌2月26日は、駆けつけてきた長女・年子さん(98才)が泊まり込んで、ぎんさんの隣で添い寝をし、その翌日は、三女・千多代さんが、ほとんど寝ないで母を見守った。
そして永訣の日は、静かにやってきた。
2001年(平成13年)2月28日、午前1時過ぎ、蟹江ぎんさんは、108才の生涯を閉じた。それは、姉のきんさんが亡くなってから、ほぼ1年後のことだった。
千多代さん:「ほんと眠るように逝って、ちいっとも苦しまなんだ。ほんとに幸せな人だったと思うよ」
美根代さん:「母をね、在宅介護で送ることができたんは、夜中や休日でも、ここぞってときに往診してくれる先生がいたことと、介護をサポートしてくれた姉さんたちが、近くに住んでいてくれたからだがね」
あれから11年の歳月が流れ、長女の年子さんは、あと2年で100才の大台を迎える。
美根代さん:「七十何年も母親と一緒に暮らして、互いにいいたい放題でようケンカして、顔をしかめたこともあったけど、そんなんは、みんな一遍に吹っ飛んでしまっただが。
それでね、親というのは、いつまで生きとっても、邪魔にはならん。ずーっと生きてくれたほうがよかったと、このごろ、そんなこと思うことあるよぉ」
※女性セブン2012年5月10・17日号