ライフ

翻訳界の巨匠 外大合格時「ついていけるかなあ」と言われた

【書評】『翻訳に遊ぶ』(木村榮一/岩波書店/2520円)
【評者】坪内祐三(評論家)

 * * *
 木村榮一と言えばバルガス=リョサの『緑の家』やカルロス・フエンテスの『アルテミオ・クルスの死』やフリオ・コルタサルの『遊戯の終り』などの翻訳で知られるラテンアメリカ文学の大御所だ。その木村榮一の『翻訳に遊ぶ』は知的自叙伝だが、これが面白い。翻訳家になってからも面白いが、なるまでが目茶苦茶面白い。

 父親の方針で木村氏は不良中学に進学するが、相撲の強かった彼は番長グループから目をつけられる。だから、「学校へ行くのが嫌で仕方なかった」。そんなある日、ささいなことでグループの一人と口論になり、家に逃げ帰り、台所の隅でうずくまっていた。

 すると、その姿を見つけた父が、どうしたんだと尋ね、事情を説明したら、黙って台所にあった包丁をつかみ、木村少年に手渡して、これで刺してこい、と言った。震えあがった少年が、そんなことしたら警察に捕まるよ、と言ったら、父は、わしが身請けしてやると答えた。

 神戸市外国語大学のイスパニア学科に入学出来たのも父のおかげだった。入学した高校は典型的な落ちこぼれ高校で大学進学率も低かった。木村青年も受験した大学にことごとく落ちた。最後に残っていたのが神戸市外国語大学だが、自信がなかったので、浪人することに決めていた。すると父は言った。「ばかだなあ、人生と同じで、受験なんていうのは運だ。運さえ良ければ、通ることだってある」。

 そうして、だめもとで受けたら合格した。うれしさに舞い上った木村青年が早速高校の受験指導の先生の所に報告に行ったら、先生は、がくっとうなだれて、黙り込んでしまった。そして口をついて出た言葉は、「ついていけるかなあ」、だった。

 この言葉はこたえたが、青年は、待てよ、と思った。自分が入ったのは<イスパニア学科>で、皆ゼロからのスタートだ。努力次第で何とかなるかもしれない。その「努力」がこのあと語られて行く。

※週刊ポスト2012年6月15日号

関連キーワード

関連記事

トピックス

結婚生活に終わりを告げた羽生結弦(SNSより)
【全文公開】羽生結弦の元妻・末延麻裕子さんが地元ローカル番組に生出演 “結婚していた3か間”については口を閉ざすも、再出演は快諾
女性セブン
「二時間だけのバカンス」のMV監督は椎名のパートナー
「ヒカルちゃん、ずりぃよ」宇多田ヒカルと椎名林檎がテレビ初共演 同期デビューでプライベートでも深いつきあいの歌姫2人の交友録
女性セブン
NHK中川安奈アナウンサー(本人のインスタグラムより)
《広島局に突如登場》“けしからんインスタ”の中川安奈アナ、写真投稿に異変 社員からは「どうしたの?」の声
NEWSポストセブン
《重い病気を持った子を授かった夫婦の軌跡》医師は「助からないので、治療はしない」と絶望的な言葉、それでも夫婦は諦めなかった
《重い病気を持った子を授かった夫婦の軌跡》医師は「助からないので、治療はしない」と絶望的な言葉、それでも夫婦は諦めなかった
女性セブン
コーチェラの出演を終え、「すごく刺激なりました。最高でした!」とコメントした平野
コーチェラ出演のNumber_i、現地音楽関係者は驚きの称賛で「世界進出は思ったより早く進む」の声 ロスの空港では大勢のファンに神対応も
女性セブン
元通訳の水谷氏には追起訴の可能性も出てきた
【明らかになった水原一平容疑者の手口】大谷翔平の口座を第三者の目が及ばないように工作か 仲介した仕事でのピンハネ疑惑も
女性セブン
歌う中森明菜
《独占告白》中森明菜と“36年絶縁”の実兄が語る「家族断絶」とエール、「いまこそ伝えたいことが山ほどある」
女性セブン
大谷翔平と妻の真美子さん(時事通信フォト、ドジャースのインスタグラムより)
《真美子さんの献身》大谷翔平が進めていた「水原離れ」 描いていた“新生活”と変化したファッションセンス
NEWSポストセブン
羽生結弦の元妻・末延麻裕子がテレビ出演
《離婚後初めて》羽生結弦の元妻・末延麻裕子さんがTV生出演 饒舌なトークを披露も唯一口を閉ざした話題
女性セブン
ドジャース・大谷翔平選手、元通訳の水原一平容疑者
《真美子さんを守る》水原一平氏の“最後の悪あがき”を拒否した大谷翔平 直前に見せていた「ホテルでの覚悟溢れる行動」
NEWSポストセブン
5月31日付でJTマーヴェラスから退部となった吉原知子監督(時事通信フォト)
《女子バレー元日本代表主将が電撃退部の真相》「Vリーグ優勝5回」の功労者が「監督クビ」の背景と今後の去就
NEWSポストセブン
文房具店「Paper Plant」内で取材を受けてくれたフリーディアさん
《タレント・元こずえ鈴が華麗なる転身》LA在住「ドジャー・スタジアム」近隣でショップ経営「大谷選手の入団後はお客さんがたくさん来るようになりました」
NEWSポストセブン