橋下徹・大阪市長の圧倒的な「意思決定」のスピードと政策実行プロセスへの強いこだわりは、従来の日本の政治家になかった画期的な新しさだ。こう分析するのは、橋下徹氏とツイッターで意見を交換し、立場を超えて互いを認めあう間柄の脳科学者、茂木健一郎氏だ。茂木氏が橋下現象を解析する。
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コンプライアンスとかルールの遵守といったことが過剰に言われるようになっている現在の日本では、フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグのような「規格外の人物」がなかなか出てこない。何か問題が起きると、マスコミがバッシング報道をして、その人が陳謝して一件落着というようなことをずっと繰り返してきたからだ。
たとえば堀江貴文氏が出てきた時、多くの若者が彼を支持し、既存の秩序を変えてくれると期待したのに、結局ああいう形で潰されてしまった。
日本人は皆、このままではダメだと分かっているにもかかわらず、自らつくった細かいルールやコンプライアンスでがんじがらめの状態になっている。人は言葉に出して言うことを避け、企業はお互いを監視し合う。息苦しいまでの閉塞感が日本全体を覆っている。
そうした中で登場したのが橋下徹・大阪市長だ。彼が多くの人から注目され、支持されているのは、チマチマと細かいルールを積み上げ、大きな意思決定ができなくなってしまった今の日本の閉塞状況を打破してくれるのではないかという期待があるからだと思う。
かつての小泉純一郎・元首相は抵抗勢力をつくり出し、彼らと「小泉劇場」といわれるバトルを繰り広げることで人気を高めていった。橋下氏も「仮想敵」とのバトルを通して「劇場」をつくり、関心を引きつけて政治的なムーブメントに結びつけているところは共通している。
しかし二人には決定的な違いがある。小泉氏が打ち出した郵政民営化について、当時の多くの国民は「このままではダメだ」「民営化でいいんじゃないか」と感じていた。小泉氏はそうした国民の気分を的確に掴んでいたからこそ、あれほどの圧倒的な支持が得られたのだ。
しかし橋下氏の場合は状況がまったく違う。3.11以降、国論を二分するような重要事項がどんどん出てきた。その象徴が原発の再稼働問題である。原発を使い続けるのか、脱原発なのか、非常に激しい議論が行なわれていて、どちら側にもそれなりの言い分、譲れない世界観、価値観がある。日本国民が一枚岩でなく、大論争する時代に橋下氏は登場したのだ。
今までの政治家の感覚からすると、こうした問題について旗幟を鮮明にするのは危険なので、結論をごまかすか、先送りしてしまいがちだ。しかし橋下氏は違う。どんな国論を二分する重要事項であっても、意思決定することを恐れないし、厭わない。この点が小泉氏と異なるところで、同氏より一歩進んでいると評価している。
※SAPIO2012年6月27日号