高齢化率や生活保護受給率が高い大阪・西成区。橋下大阪市長は、西成の活性化に向けて「西成特区構想」を進めている。この西成に、連帯保証人となって人生を転落させた男が逃げ込んできた。作家の山藤章一郎氏が送るルポ。
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1泊1200円。布団、枕、カラーテレビ、洋服ダンス付きの3畳間。2階に大浴場が備わった〈M〉ホテル。通称〈釜ヶ崎ヒルトン〉。布団はせんべいだが、シーツもカバーもカビ臭くはない。朝から福祉センターに並べば、仕事もある。マイクロバスに連れられた飯場作業で8500円。
これで何か不平はありますか、ほかに人生で必要なものがありますかと、田中はちいちゃんに訊く。ふたりは共同風呂で仲良しになった。ちいちゃんが応える。
「おうよ、最高じゃけえのぉ、ここは。借金、犯罪で逃げてきとるわしらチンカスを警察も債権も追うてこん。戸籍いらん。住民票、履歴書いらん。人との絆? そげなメンドイもんもいらんけぇ」
田中氏、45歳、小デブ。東京で小出版社をやるダチの連帯保証人になって人生破滅、ここ大阪・萩之茶屋に逃げこんできた。本名を言わぬちいちゃんは、広島でヨメの兄貴の土建業の連帯保証人になり同じく茨道へ。49歳。のどぼとけが飛びだし、釘みたいに痩せている。
あらためて確認しておきます。連帯保証とはなにか。田中の場合、ダチが銀行から2200万円借り、連帯保証人になってくれといってきた。「まっ、いいか」とりあえずハンコついた。と、銀行はダチの返済が1週間遅れただけで「返せ」と強硬催促。半年後、「もうだめ。ごめん」ダチは電話1本寄越して姿消した。それから2年、すったもんだの挙げ句、田中は豊島区のマンションを売り、1400万円返済した。
残り800万。素寒貧のフリー物書きに手も足も出ぬ金額である。ヨメは小2のガキを連れて群馬・館林の実家に帰った。1年経った。田中はヨメの実家近くの公園に、そっとガキを見に行った。長い時間待った。ガキは夕方、現れ、ブランコを4度揺すって帰った。田中は泣く代わりに、おのれに告げた。「わたくし本日ここに力尽き、東京生活引退を決意いたします」
ポケットに17万6000円也。親に「ちっと東南アジアで暮らす。心配せんでいいから」と告げたケータイへし折り、新宿から4500円の深夜バスに乗り、朝7時45分、なんばに着いた。南海電車に乗ってぷらりと降りた。
橋下なんたらが西成特区といってる所だ、英国からの留学女をハメ殺した市橋なんたらが、もぐった所だ。目立たないだろう。〈萩之茶屋本通〉と看板のかかったアーケードを行く。朝の8時すぎ、酒の臭いがただよい、カラオケのがなり声が飛び交い、婆さんが、腫れてひびが入った真黒の裸足を引きずっていく。婆さんの脇を男が駆け抜け、後ろを警官が追う。
立ち飲み屋の先で赤黒い男たちが「ポリィー! ポリィー!」とはやし立てていた。「あっちに行ったで犯人、出刃持って」
田中は思う。こんな苦界で、わたくしはやっていけるのでありましょうか。だが、杞憂だった。遊園地かパチンコ屋かと見まごう〈スーパー玉出〉通称〈スー玉〉に入った。1本29円の焼き鳥5本と、30円のプエルトリコ製〈コーンフレーク〉で腹をつくった。単純に幸せの気分が満ちてきた。
〈LABI1なんば〉に公衆電話をした。男が応えた。面接には履歴書、採用時には、住民票、保証人が要る。「ほかにも採用者にのみ伝える、要るもんありますが」
すべて無い。無一物である。ふたたび心配がせりあげてきた。仕事がなければ、生きていけぬ。〈ヒルトン〉から〈ハイアット〉にランクを下げた。750円。ゆかから天井までの空間を2段に分けたドヤである。
光るものを畳から拾いあげた。シャブを打つ針だった。弁当屋は、のり弁200円。飲み屋は焼酎100円。〈スー玉〉は、残り物を惣菜につくりかえて10円単位で売っている。田中はまた問う。シャブ針などなんの問題があろうか。住と食。これさえあれば人生、文句のつけようがありますか。
※週刊ポスト2012年10月5日号