実はこの国の失敗は「無知に甘かったこと」なのである。「子日わく、民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず」と言った孔子が生まれた国は、まさに今もその通りの古代の闇の中を生きているが、私たちだって笑えたものではない。長く続いた自民党一党独裁というのは、まさにそんな政治だった。
しかし、私が名付けた利権談合共産主義が壊れ、大ボス小ボスから「利権のカケラをあげるかわりにここに投票してね」と言われなくなると、多くの有権者は呆然と立ちすくんだ。そのとき必要なのは「お勉強」だったのだ。この国の構造について学び、政治家ひとりひとりについて識り、国家の誇りとは何かを自覚する。これは誰も教えてくれないことだ。あなたや、あなたが学ぶしかないのだ。
せっかく「自立した個人としての有権者」として解放されながらも「誰かが教えてくれる」とキョロキョロしている間に、この国は二十年ほどもの歳月を失ってしまった。もう、あとはない。今こそ覚醒するしかない。
公示日の朝日新聞の一面に、政治部長が興味深いコラムを書いていた。<わかりにくい衆院選である>と書き出される。これまでであればそれを「賢い」朝日新聞が解説してみせるのだが、記事の半ばにはこんな記述があって私は驚いた。
<ブームを追いかけ、ときにあおり、物事を単純化しすぎた選挙報道をあらためるときだ。今回、世間が先に気がついた。>
今さら何を言っているのかと批判することはたやすい。しかし最後の一節は、私は現場を知るものの正直な認識だと思う。少なくとも、人々は「無知の知」に気づきつつあるのだ。ザバン、ザバンと揺すった盥の中の水のような「民意」がどれほど危険であるかを、この十年あまりで思い知ったのだ。
一年を振り返って面白い現象が、師走になって報じられた。今年は100 万部を超えるベストセラーがなかったと言うのだ。多くの報道は書籍不況のせいにしているが、私はそれだけではないと感じている。モノ書きの端くれとして「小泉劇場」のころからこのかた「なんでこんな本がこんなに売れるのか」と感じることが多かった。本当に、買った人は読んでいるのか、とも。なぜならば、それらの内容を受けての論議や社会現象につながっていっていなかったからだ。
人々が立ち止まって「思考を開始した」ことと、このミリオンセラーの消滅とは、かなり近い現象のように私には思われる。だとすれば、出版社には申し訳ないが、決して悪いことではない。
さあ、立ち止まり「無知なる有権者」の自覚のもとに、せいいっぱい考えよう。「ただ投票する」のではなく「善い投票」をしよう。自分のため、日本国のために。
その意識をもって投じられた一票は、たとえ結果に繋がらなくとも、あなたや、あなたの中の財産として残るはずだ。それはやがては政治に対する興味にもつながり、この国を動かしていく。
投票行動とは民主主義によって与えられた学習機会である。それをきちんとこなすことが、タフな日本国民を育て長く惰眠をむさぼってきた「おまかせ民主主義」からの卒業証書をようやく貰えることになる。