最近は、ライブこそご無沙汰だというが、彼の好きだった音楽は、常に名器を通して聴くことができる。そしてこの日は、店内のテレビモニターに、元気だったころの笑顔の庸夫さんが写るライブ映像が流されていた。
「こんな角打ちの店なんて、日本中探してもないでしょうね。だから私らは、ここで角打ちすることを“ミタラう”と言っているんですよ」と、さきほどの50代。周囲の常連も、新しい顔も、みなそれが誇りなんだというようにうなずいている。
このとき、先ほどまで飲んでいたビールから、何人かの手には焼酎ハイボールの缶が握られていた。
「この辛口がねえ。懐かしいというか、味わい深いというか、こういう雰囲気のときは、合うんだよねえ」(60代)
市内で生まれた光江さんが庸夫さんのところにお嫁に来たのは、彼女が23歳のとき。
「サラリーマンの娘で、今と違って、細くて可愛かったんですよ。商売のことなんて何もわからないし、酔っぱらいも嫌いだったから、店の手伝いに出始めた頃は、お客さんとしょっちゅう喧嘩。もう来んでいい、この酔っぱらいがなんて平気で言ってました」(笑い)
それが、毎日20本入りのビールケースを抱えてビルの3階へ配達したりするうちに、現在のように逞しくなったのだそうだ。