130年以上に及ぶ講道館柔道の歴史の中で鬼の称号を持つ柔道家は4人。その中で最強と謳われるのが、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と謳われた木村政彦と、その師匠の牛島辰熊だ。
師匠の牛島辰熊から鬼の称号を受け継いだ木村政彦こそ最強と唱える柔道家も少なくない。
身長170センチ、体重85キロの当時でも決して大柄とはいえない体格ながら、戦前戦中から戦後の15年間を通じて不敗、牛島の悲願だった天覧試合も制し、『鬼の政彦』の名を不動にした。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)著者の小説家・増田俊也氏は、木村の強さの理由をこう語る。
「貧しい家計を助けるために、激流の川で一日何時間も砂利を掬い続けたことで土台の強靭な足腰ができたこと。“鬼の牛島”が師匠だったこと。それらに加え、私を含む柔道家なら誰もが『信じられない』という一日9時間の練習量にある。ほとんど化け物です」(増田氏)
「3倍努力」という有名な“木村語録”がある。2倍程度では不覚を取る、3倍練習すれば誰も追いつけないというものだ。
1980年代の格闘技雑誌の対談記事で木村自身が1937年の天覧試合前を回想している。
朝4時に起きて巻き藁を1000回突いてから、朝10時から夜11時まで警視庁や拓殖大、講道館の道場で乱取り稽古する。帰宅後は腕立て千回、80キロのバーベルを600回挙げ、大木を相手に打ち込み1000回。これで終わりではない。
〈人間は寝たら終わり。人が寝て死んでいる間も自分だけは体をつねって寝ない訓練を朝4時までした〉と語っている。
「大学の強豪柔道部の強化合宿でも最大5時間。9時間以上すれば普通は筋肉も萎んで壊れてしまう。信じ難いが紛れもない事実」(増田氏)
その結果、得意技の大外刈りは脳震盪を起こして失神者が続出、寝技で木村の代名詞でもある腕がらみは相手が骨折、脱臼、どちらも出稽古で禁止されるほどの切れ味が生まれた。
※週刊ポスト2013年3月22日号