名脇役として知られた俳優の故夏八木勲氏。最晩年まで俳優としての仕事に励み、先頃のカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した「そして父になる」(是枝裕和監督、10月5日公開)をはじめ、未公開の映画だけでも6本も残しての逝去だった。亡くなる日の約80日前にインタビューした映画史・時代劇研究家の春日太一氏が、インタビュー時の様子を振り返る。
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今年二月、本誌連載のため夏八木勲にインタビューをさせていただいた。既に病魔が蝕んでいたはずだが、それを感じさせないほどに熱い口調でお話しくださった姿は今も忘れられない。真摯な姿勢で言葉を紡ぐ様には心震わされ、聞き手であることを忘れてしまうこともあった。
インタビューの最中、夏八木は過去のことを思い出しながら声をつまらせて泣いた。それは、俳優デビューした東映京都をわずか数年(1968年)で離れた事情を振り返った時だった。
「その当時、京都というのはローカルな場所でした。東京に比べて映画館の数も少ないし、封切りも一か月くらい違うんです。しかも、東京にいた養成所の仲間たちが小さい劇団を独自に作って活発に動いたりしていて。そういうのは耳に入ってくるんだけど京都にいたら見ることすら出来ない。そんなことへのフラストレーションがありました。
それで加藤泰監督から『懲役十八年』という映画に出ないかと提示された時に『もう、東京に帰ります』と断ってしまったんですよ。新人といっても、僕は二十七歳。とうが立って、可愛げもない……そんな男なのに、東映は売り出してくれた。しかも、加藤監督から直接いただいたお話だったのに……。
当時のことを思うと……本当に無礼だったなと悔恨の情が今でもどんどん出てきます」
【※編集部註釈】夏八木勲氏(享年73)は、本連載のインタビューから約80日後の5月11日にお亡くなりになりました。 2時間にもわたるロングインタビューにご協力頂いたことを感謝するとともに、ご冥福を心からお祈りいたします。
●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(PHP新書)ほか。
※週刊ポスト2013年6月14日号