セ・パ両リーグで活躍し現役時代は豪快なホームランで、引退後は解説者としてだけでなくバラエティ番組でも人気者だったプロ野球選手、大杉勝男氏。1992年に47歳で急死して20年以上の月日が経つが、いまもなお、その人柄をしのぶ人は多い。大きな体にも関わらず甘いものが大好きだったという大杉について、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。
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旧盆を前に横浜市保土ヶ谷にある和菓子店が店を閉めると伝えられた。ここの桜餅が大好きだったヤクルト時代の大杉勝男は、「これを食べるとホームランが打てる」とよく語っていた。
私が仕事に失敗して落ち込んでいる時、大杉はその和菓子店の品を持って「苦しい時こそ仲間じゃないか」と励ましてくれたものだった。図体はでかいが、心優しい男。大杉が47歳で急死して21回目の夏を迎える。
今年のオールスター第2戦、久しぶりに満員に埋め尽くされた神宮球場を見た。
1978年のヤクルト初優勝の時は連日、満員のファンが押し寄せ、一塁側スタンドが活気に満ち溢れていたものだ。そこでは塗装屋の傍ら応援団長を務めていた岡田正泰が、徹夜で作った応援用のプラカードを使い、東京音頭のリズムに合わせて傘を振る指揮をして盛り上げていた。
岡田が金網に足をかけて指揮を執ると、球場全体の空気がピシッと締まる。選手たちも全員それを知っており、大杉も「単なるペンキ屋のオヤジじゃない」と言っていた。
1978年10月4日。初優勝が決まり場内を選手が一周する際、大杉が岡田を見つけて言った。
「オッサン、そこで何しとるんや。おる場所が違うでェ」
止めに入るガードマンを「優勝に一番貢献した恩人じゃないか」と一喝し、手を繋いで場内一周してくれたという話を、岡田の自宅で聞いたことがある。岡田は「こっちが懸命に尽くせば返してくれる選手。応援団冥利に尽きる」と語っていた。
■永谷修(ながたに・おさむ):1946年、東京都生まれ。著書に『監督論』(廣済堂文庫)、『佐藤義則 一流の育て方』(徳間書店)ほか。
※週刊ポスト2013年8月9日号