伝説のオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ)には、1971年の番組開始から終了までの12年間で約200万人にも及ぶ人が応募してきた。デビュー第1号の森昌子、続いて山口百恵、桜田淳子と相次ぎ成功。アイドルを目指して応募した少女の中に、のちの中森明菜もいた。本選で最高記録の点数を出した当時の様子について、ジャーナリストの安田浩一氏が綴る。
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1981年、明菜は私立大東学園高校(東京都世田谷区)に入学する。しかし、勉強や部活に熱中することはなく、頭の中は歌手になることでいっぱいだった。7月。通知を手にして予選会に挑み、無事合格。いよいよ3度目の本選挑戦である。
明菜は母・千恵子に選んでもらったロングスカートとノースリーブのサマーセーターで、松田トシ対策の「清楚な着こなし」を演出し、ステージに立った。明菜は落ち着いていた。
「今回が3度目の挑戦です。私はもう大人です」
そう言って頭を深々と下げた。明菜の言葉に感動を覚えたのは、審査員の中村だった。
「なんていうんですかねえ、その言葉にこれまでの苦労がにじみ出ていた。しかも、その声がいいんだな。普通の話し声なのに、ある種の重みを感じたんです。彼女が歌う前から、僕は相当に期待しましたね」
歌は山口百恵の「夢先案内人」。
「すごいぞ、これは。この子、急に成長したじゃないか」
歌い出しからすぐに、中村は舌を巻いたという。
「期待を大きく上回っていたんです。それまでとは違い、明らかに声に艶が出ていた。正直、ゾクゾクしましたよ。この子はアイドルというよりも、ちゃんとした歌手に育てるべきだ、なんてことを瞬時に考えてしまった」
いよいよ採点である。中村はこの日の明菜は「完璧」だったと判断した。欠点が何一つ見当たらない。審査員を続けてきて、初めての経験だった。中村は手元のボタンで100点を入力した。
ところが──ここで、ちょっとしたトラブルが起きる。数字が電光掲示板に反映されないのだ。怪訝に思っていると、フロアディレクターが飛んできた。
「先生、点数は99点までしか入力できないんです」
100点満点などという高得点は最初から想定外だったのである。これに中村は抗議した。
「僕は、この子に100点をあげたいんだよ。完璧じゃないか。99点というわけにはいかない」
困ったディレクターは撮影中のカメラを止めて収録を中断した。とりあえずそこで休憩に入ることになった。この部分は放映されなかったシーンである。
審査員は全員、控室に引き揚げた。中村はそこでも「99点なんておかしい」と担当者に抗議しながら、同時に他の審査員の反応を探った。都倉俊一(作曲家)、松田トシ、阿久悠、森田公一(作曲家)の4人である。
「それとなく明菜に何点を入れたのかを聞いてみたら、僕以外はみんな、評価が低いんですよ。これでは僕が99点を入れたところで、合計しても合格ラインには届かない。焦りました。だから必死に明菜の良さをアピールしたんです。歌が上手いじゃないか、将来性あるじゃないかと。すると他の先生方も渋々、『じゃあ、もうちょっと点数を増やすか』と同調してくれたんです」
あやういところだったのだ。もしも100点入力が可能であれば、中村一人が高得点でも、結果的には不合格となっていたはず。中村の抗議と、それに続く休憩が、明菜を救ったことになる。
収録再開。採点が始まった。都倉85点、阿久75点、森田70点、松田63点、そして中村99点。松田だけが意地を張るように低い評価だったことも、それが彼女の信念だと思えば、どこか微笑ましい。筋を通したのである。それでも合計点は392点。なんと、スタ誕はじまって以来の最高記録であった。
驚いた表情を見せる明菜に、中村が真っ先に声をかけた。
「僕はね、君に100点をあげたかったんだ。でも二ケタしかないものだから99点にしました。期待しているよ。がんばるんだよ!」
その言葉を聞いて、明菜はワッと泣き出した。張りつめていた糸が、プツンと切れたように。どんなに我の強さを見せていても、まだ16歳の少女である。脆くて壊れやすく繊細な、もうひとりの明菜が、わんわん泣いた。
一か月後、明菜は決戦大会に出場する。大勢のスカウトマンを前にして、本選と同じ「夢先案内人」を歌った。
すべては決戦大会で決まる。ここに出場できても、スカウトマンの誰一人としてスカウトを表示するプラカードを上げないこともある。明菜は祈った。誰でもいい、どこの会社でもいい。私を指名してほしい──。
「よろしくお願いします」
明菜が頭を下げた瞬間、スカウトマン席から一斉にプラカードが上がった。
「すごい、すごいよ。1、2、3、4……11本だ!」
司会の坂本九がうわずった声をあげた。明菜に大量の“買い注文”が入ったのである。(文中敬称略)
■安田浩一(やすだ・こういち)1964年静岡県生まれ。週刊誌記者を経て2001年よりフリーに。事件、労働問題を中心に取材を続ける。近著に“ネット右翼の病理”を炙り出し、第34回講談社ノンフィクション賞を受賞した『ネットと愛国』(講談社刊)など。
※週刊ポスト2013年8月30日号