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嫉妬が主題の本描いた桜木紫乃「嫉妬する気持ちわからない」

【著者に訊け】桜木紫乃氏/『無垢の領域』/新潮社/1575円

 先日、直木賞を受賞した『ホテルローヤル』に改めて思った。この人の小説は、濡場ですら渇いている、と。

「今一つ没頭してませんよね。滑りが悪そうで、だからモテないのか!(笑い)」

 作家・桜木紫乃。北海道釧路市出身。実家が同名のラブホテルを経営していた、とか、受賞会見で金爆ファンを宣言! 等々、巷では本人の気さくな人柄も含め、個人情報が様々に飛び交う。

 が、忘れてならないのは彼女が2002年の「雪虫」以来、一貫して北の情景を描いてきたということ。大地を人知れず舞う塵や埃や、無常を無常とも思わずに軽量な命を揺らす芒や葦。それら諦めがちな景色を心身の内に飼い慣らすような、期待せず、絶望もしない男や女……。愛はおろか、湿り気すら求めない、そのどこまでも渇いた質感が、何やら潔くも思えてくるのである。

 最新長編『無垢の領域』でも、そのドライな筆は身も蓋もないほど発揮される。ちなみに冷たいのではない。渇いているのだ。涙も恨みがましさも風が吹けば持ち去られ、何物も居着くことのない砂地にも似た光景に、ただ時ばかりが降り積もる。

 テーマはずばり〈嫉妬〉。そのせいか、妻〈伶子〉に専ら家計を頼る釧路在住の書家〈秋津龍生〉らの延々空回りする自意識が、桜木作品には珍しく湿っぽい。桜木氏はこう語る。

「自分でも驚いたんですが、私が嫉妬というお題で書けるとしたら“嫉妬心のなさ”くらいなんですね(笑い)。例えば『ラブレス』(2011年)のドサ回り歌手・百合江は世間の尺度なんて眼中にないし、幸不幸の目盛も自分で決めて腹を括って流される人の強さを、憧れもあって書いてきた部分がある。

 実は私自身、他人の才能や男女関係に関してキーッとなれる人のことがわからないんですよ。たぶんこの伶子と同じで、誰かに嫉妬するほど自分にも他人にも期待してないんでしょうね。

 そんな薄情な私に、もっとドロドロになるまで掘ってみろと、鬼の編集者がツルハシを押しつけてきまして、登場人物の内面を泣く泣く掘って行ったのがこの小説。普段仕事のことでは滅多に泣きを入れない私が職場の亭主に電話しちゃったくらい、嫉妬の正体らしきものにぶちあたるまでが、もうしんどくて、しんどくて!」

 書道界の旧弊に背を向け、自宅で書道教室を開く傍ら新進書家が集う〈墨龍展〉で大賞を狙う秋津と、高校の養護教師として彼や姑の生活を支える伶子。既に子供は諦めたが、夫は家事や介護を快く請け負ってくれ、時に姑の目を盗んで忙しなく繋がる夫婦の営みにも、特に不満はなかった。

 市立図書館で秋津が個展を開いた日のこと。2人は図書館業界の革命児として知られる館長〈林原信輝〉と、その年の離れた妹〈純香〉に出会う。特に秋津は知能こそ25歳のそれに満たないが、書に関しては驚異的な才能を発揮する純香に興味を持ち、彼女を教室の助手に雇うようになった。

 一方伶子は江別で書道教室を営んでいた祖母の死後、一人では生活できない妹を引き取ったという林原に、自分に似た翳を感じていた。書家として奔放に生きた母親や最愛の祖母の死を未だ認識できない純香と、その才能に目を剥く秋津、そして伶子と林原の密かな関係は、やがて各々の闇を浮き彫りにし、物語はある悲しい事件へと展開していく。

【著者プロフィール】
 桜木紫乃(さくらぎ・しの):1965年釧路市生まれ。裁判所勤務を経て結婚。一男一女を出産後『北海文学』同人となり、2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。2007年の初単行本『氷平線』で注目され、2011年『ラブレス』で直木賞・大藪賞・吉川新人賞候補に、2013年には第19回島清恋愛文学賞を受賞。今年7月に『ホテルローヤル』で第149回直木賞を受賞、早くも50万部突破。著書は他に『硝子の葦』『ワン・モア』『起終点駅』等。

■構成/橋本紀子

※週刊ポスト2013年10月4日号

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