実は20世紀最大の問題が幾多の物語が歴史と称して書かれたことで、その危うさに最も批判的立場にあるのが予め虚構であることを宣言して書く文学者だろうと。つまり日本の近現代を虚構とわかる形で物語化したこの試み自体が、批判や毒を孕むと言ってもいい。問題はそれをどう面白く書くか。不謹慎とユーモアが隣り合い、虚と実が絶妙に絡みあう語りの疾走感を、ぜひ堪能してほしい」
まず幕末~維新の私は、下谷三味線堀に住む御家人〈柿崎幸緒〉。大火で係累を失い、金貸しで小金を貯めこむ柿崎家の養子に入った彼は、仲間を唆して養父を亡き者にし、対官軍戦では最後に寝返って彰義隊壊滅に一役買った。
哲学や芸術より金勘定や話術・戦術に才能を発揮するのが歴代の私の共通項で、安政大地震の際〈私が地震に遭うのは今回が初めてではない〉と確信した私は太古に遡る天変地異を悉く記憶していた。が、〈経験〉は一向に蓄積されず、何度転生しても同じ過ちを繰り返す私である。
「経験しない=歴史を生きていないとも言えて、天災や空襲の度に破壊と再建を繰り返してきた東京には、何度でも立ち上がれる逞しさと、それとは裏腹なニヒリズムが根底にあると思う。たぶん〈ゴジラ〉を痛快に感じるのもこの破滅願望のせいで、それが我々を蝕(むしば)む諦観の正体ではないかと」
その後は猫や鼠にも姿を変え、明治~昭和には陸大卒の軍人〈榊春彦〉として天性の策士ぶりを発揮した。昭和14年には関東軍参謀部に配属、実はノモンハンの作戦や旧関東軍の隠し財産にも関わり、〈大東亜共栄圏なる言葉を発明したのは私です〉というから驚く。
尤も初来日したジョン・レノンや上野のパンダまで〈あれは私だ〉と私が言い張るのは、彼が日本の歩みを語る生身の叙述装置だから。戦後新宿で愚連隊からのし上がった〈曽根大吾〉や、草創期のメディア界に暗躍し、〈正刀杉次郎〉らと原発導入に関与した〈友成光宏〉。バブルに踊らされた〈戸部みどり〉や、白昼の繁華街でナイフを振り回す原発派遣作業員〈郷原聖士〉にしろ、モデルはいるようでいないと奥泉氏は言う。