全国公開される映画に比べれば、Vシネマにかけられる宣伝広告費は微々たるものだ。Vシネマの歴史とは、そうした制約下で作品をいかにして手にとってもらうかを競う「セクシーアピール」の歴史でもあった。
Vシネマを語る上で欠かすことの出来ない要素が、旬の女優たちが魅せる「エロス」である。濡れ場の出来がその作品の評判を左右するといわれるVシネマ界では、有名無名問わず、多くの女優たちが肌をさらしてきた。Vシネマに詳しいライターの藤木TDC氏が解説する。
「Vシネの最盛期だった1990年代は『ヘアヌードの時代』でもありました。出版、映画、AVと各業界が性表現の過激さを競う中、Vシネマも必ず作品中に濡れ場を配置していたし、セックスシーンそのものが作品の売りであることも多かった。にっかつロマンポルノがなくなった後の受け皿として、多種多様な濡れ場が用意されました」
1990年代にナンバーワンVシネクイーンとして一時代を築いたのが大竹一重(42)だ。Vシネマ黎明期の濡れ場といえば、無名の「女優の卵」が演じるのが普通だった。そんな中、当時22歳の大竹は、ミス日本入賞者という華やかなプロフィールを引っさげて登場。そのインパクトは大きかった。
大竹は名作と称えられる『痴漢日記 尻を撫でまわしつづけた男』(1995年)を皮切りに、『女教師日記』(1995年)、『あやしい人妻 テレクラ・リポート』(1996年)などに立て続けに出演。華道家元、茶道師範の肩書きを持つ清楚な女優が乱れる姿に、世の男たちは大いに沸き立った。
「上品さを保ちつつ、常に期待を裏切らない脱ぎっぷりを見せるギャップが魅力でした。長身でスレンダーなスタイル、クールなキャラクターから“Vシネ界のシャロン・ストーン”とも呼ばれました」(前出・藤木氏)
ミスコンから降臨した女王がいれば、セクシー業界から殴り込みをかけた女王もいた。水谷ケイ(40)だ。
Fカップのバスト、丸みを帯びた肉感的なヒップが、男たちの責めを受けるたびに揺れる様は、まさにド迫力。当時の人気深夜番組『ギルガメッシュないと』(テレビ東京系)で若者たちを虜にした肉体は圧倒的だった。
繊細な感情表現によるリアルな演技で男たちを興奮させた大竹に対し、水谷はコミカルな演技を得意とした。水谷は『お天気お姉さん』(1995年)で、ストックホルム国際映画祭のユーモア映画最優秀主演女優賞を獲得している。