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2014.09.28 15:59  SAPIO

戦後の皇居前広場 恋人たちが愛を営む「野合」の名所だった

 今の時代、夜の公園でコトに及ぶ男女がいれば、公然わいせつとして警察沙汰になりかねない。しかし、かつては東京でも「屋外での性愛行為」はけっして珍しくなかった。日本人の“性愛空間”は、どのように変わってきたのか。

 縄文時代の昔から、日本では「屋外での性愛行為」が当たり前だった。ホテルを使うようになったのはここ半世紀くらいでしかない。

 近代になっても、とくに農山漁村では、山裾、畑、寺の裏手、橋の下、空き地の枯れ葦の中など、屋外の場所を問わず愛の営みが行なわれた。「森へ行こう」という呼びかけが「セックスしよう」と同じ内容を意味したほどだ。

 時代が下るにつれて、東京では男女が愛し合う手頃な場所は減っていった。しかし、全国からは続々と「田舎の青年や娘」が流入してくる。屋外での性愛に慣れ親しんでいた彼らにすれば、東京の都市公園はよく整備された褥(しとね)に見えたようだ。

 例えば、1908年7月11日付の読売新聞は開園わずか5年の日比谷公園について、こう報じている。

<昨今夜の日比谷公園は全く堕落男女の野合場と化し、毎夜少なくとも十組位の野合者を発見する>

 また戦後、焼け野原となった東京には性愛空間が乏しかった。その折、恋人たちがアプレゲール(戦争後)の解放感と共に愛を営んだのが皇居前広場だ。

 野合の名所として知られ、1954年には女性実業家らが、皇居前が荒らされないようにするために「アベック専用の公園」を作るべきと東京都に要望したほどだった。

※SAPIO2014年10月号

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