「麻布ではむしろ大学受験が近づくと授業のレベルを下げるんですよ。また、麻布の中学入試の問題検討会議では、教職員の間で〈「誰がこんな問題作ったんだ」〉という怒号が飛び交い、生徒の好奇心にとことん向き合う先生方の情熱が実に印象的でした。
ただ最近は親たちの希望が現役合格の実績に傾き、入口(偏差値)と出口(大学合格者数)ばかり重視する。それでも真ん中、つまり教育の中身に惚れる人が麻布を選び、最も多感な6年の過ごし方を費用対効果で決めていいのか、結局問われているのは親や我々の“教育観”だと思います」
理想の教育と大学合格数という現実があるとすれば、〈二兎を追う〉のが麻布だ。氷上信廣前校長は学校運営を〈山の稜線を歩くようなもの〉と喩え、片方だけに転んでは元も子もないのだ。
「理想とは要するに、〈自由に生きよ〉ということです。僕なんか自分が教わってきた学校で『人に迷惑をかけるな』としか言われなかったけど、迷惑かけていい、むしろかけた時にどうするかを麻布では考えさせる。かと思うと『自由すぎるのが欠点』と冷静に言う子もいるのが麻布です」
本書の後半には1970年代に教員・生徒側と理事長側が衝突し、〈自治の誇り〉を獲得した学園紛争の歴史も綴られ、自由とは何かを校長以下が共に考え、一から議論するフラットな関係が印象的だ。正解は誰かから下されるものではなく、そもそもないかもしれない。だからこそ教員も生徒もなく共に悩み、「謎を謎として」抱え続けた時間が、後々無二の財産や教えとなるのだろう。