「とにかく寒くてお客さんが来ない。寒さを凌ぐため、トレーラーハウスに屋根をつけ、暖房を設置、冬でも遊べる施設を新設したり。多額の投資をして、赤字が続きました。弁当工場を作り仮設住宅に売りにいく移動横丁もやりましたが、思ったほど売り上げが取れなかった。
被災者の方の力になりたいと思って行ったのに、実際は大した力になれなくて、非常に悔しい思いをしていました。 もっと力が欲しい、会社全体に力をつけたい、それで上場を決めたんです」
だが、そこから佐瀬は真骨頂を示していく。二つの大事業に乗り出すのだ。
「我々に一体何ができるかと考えたら、もう、タコしかないんですよ」
一つは、主に中国にあるタコの加工場を石巻に移すことで、2200坪の土地を沿岸部に購入する。しかし、タコは不漁続きでなかなか入ってこない。
そこで佐瀬は、その土地を陸上で世界初となる真ダコの養殖場にすることを発案。宮城大や東北大に協力を仰ぎ、地元水産業者と共に陸上養殖の拠点作りを目指して石巻養殖研究所を立ち上げる。
もう一つは、それまで商社任せで価格も供給量も不安定だったタコの輸入に関しての新たな試みだった。「いっそ、自前調達しよう」……でも一体どうやって? 「自分たちで獲りに行こうと。世界中探せば、タコは絶対にいるはずだって!」
言葉も通じない中、ここら辺で獲れるという情報だけを頼りに世界を巡る「タコ探し」を始める。当初は空振りが続いたが、やがてタコは世界中で獲れることがわかってきた。
「アフリカの西サハラなんて今も30万人くらいがタコ漁に従事していたんです。1970年代に日本のJICAがタコ漁を教えたんですって。でも中国船が入ってきてトロール漁で根こそぎ獲ってしまいタコが少なくなっている。そこで僕たちは小さい船で行なう壺漁の方法を教えて、そこから買い付けよう、と」
※SAPIO2015年1月号