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2015.02.28 16:00  女性セブン

三津五郎長男・巳之助 「近藤サトの名前はいまだにタブー」

 2012年12月、親友・中村勘三郎さん(享年57)の葬儀で、弔辞を読み上げた坂東三津五郎さん(享年59)。2013年にすい臓がんが見つかり、2014年4月には舞台復帰を果たすも、その後転移が見つかった。そして、本年2月21日、天国へと旅立った。勘三郎さんの死からわずか2年余りのことだった。葬儀は、2月24日、都内の自宅で開かれた。

 1956年、踊りの名門・坂東三津五郎家の長男として誕生した三津五郎さん。6才で坂東八十助を襲名して初舞台を踏み、踊りの名手として人気を博した。

 1983年、元宝塚歌劇団のスター・寿ひずる(60才)と結婚。2人の娘と跡取りである長男・巳之助をもうけ、幸せな家庭を築いているように見えた。だが、1996年12月、後に妻となる元フジテレビアナ・近藤サト(46才)との不倫が発覚すると、家庭は一気に崩壊、1997年に離婚している。そして、翌年、三津五郎さんは近藤と再婚したが、わずか2年ほどで再び離婚した。この離婚会見で近藤が口にした発言が大きな話題を呼んだ。

「私は結婚に対して子供ができることを望んでおりました。しかし、誰かの意思によって阻まれるというのは、私にとって理解できませんでした」

 すでに三津五郎さんには巳之助という後継者がいたため、もし近藤にも男の子が誕生すれば跡目争いで大問題が起きるため、子づくりを禁止されたことを明かしたのだった。

 だが、当の本人である巳之助は、母を捨てた父を憎み、ついには「歌舞伎役者にはならない」と言い出す。

「父親の不倫が発覚したころから反発するようになって…。中学生や高校生のころには、三津五郎さんに手をあげたこともあったみたいです。また暴れて稽古場の窓ガラスを蹴り割ったりもしていました。

 スキャンダルが巳之助さんの心の傷になったのは間違いありません。『ぼくなんか生まれてこなければよかったんだ』と漏らしたこともありましたから。また自分たちから父親を奪った近藤さんへの憎しみは半端なものではありませんでしたね。今でも彼の前では、彼女の名前はタブーなんです」(坂東家知人)

 そして親への反発のあまり、ついには高校をやめた巳之助。

「三津五郎さんは苦悩する巳之助さんに“とりあえず、1年間歌舞伎や踊りから離れてみてはどうか”と伝えたそうです。巳之助さんは秋葉原でとんかつを揚げるバイトをしながら、バンド活動を始めたんです」(前出・坂東家知人)

 このときの心境を三津五郎さんはこう語っている。

《僕もそのときは腹をくくりました(中略)君は僕の子どもだけれど、君の人生は君のものだ。それに「頼むからやってくれ」というのは絶対に嫌だった》

 結論からいうと、三津五郎さんの決断は正しかった――半年後、18才のときに巳之助は歌舞伎の道へと舞い戻ってくる。

「三津五郎さんは亡くなる間際まで、巳之助さんのお稽古をつけていたんです。それは闘病中とは思えないほど、鬼気迫る迫力だったそうです」(前出・坂東家知人)

 父との“雪解け”は果たした巳之助だが、近藤との確執はいまだとけていない。

 近藤は三津五郎さんの死に際して、「突然のことで大変驚いています。歌舞伎俳優として日本舞踊家として、とても尊敬申し上げていました。ご冥福をこころよりお祈りしています」というコメントを発表したが、これも快くは思っていないようだ。

「幸せだった家庭を壊しただけでなく、離婚の際にはお家の恥部を明かし、その後は一切没交渉だったにもかかわらず、突然、“前妻”として出てきたことが気に障ったみたいなんです。

 ですから、三津五郎さんの死に際しての会見で、巳之助さんは母の寿さんが三津五郎さんの病室に入って、『家族揃って』写真撮影をしたという発言をしたんだと思いますよ。近藤さんに対してのメッセージだったのかもしれません」(前出・坂東家知人)

 死の直前、三津五郎さんにとっては嬉しいニュースもあった。次女・幸奈さんが入籍を果たしたのだ。

「旦那さんを連れて、ウエディングドレス姿で病室の三津五郎さんに結婚の報告をしたそうです。このときばかりは苦しそうにしていた三津五郎さんも、嬉しそうに笑顔を浮かべていたと聞いております」(前出・坂東家知人)

 最後に娘からもらったプレゼントとなった。

※女性セブン2015年3月12日号

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