家庭環境が悪い子供にとって、学校は重要な場所だ。そこで教師が子供とどう触れ合うかで、その後の人生が決まると言っても過言ではない。48才の女性教諭Kさんが、恩師の思い出を振り返る。
* * *
小学生時代、私の両親の関係は、冷え切っていました。父も母も家にはほとんど戻らず、たまに顔を合わせると、つかみ合いのけんかになるばかり。私は、同居していた祖母に育てられたようなものでした。
私が中学生になった頃、優しかった祖母が他界。寂しさから、なんとか親の気を引きたくて、私は荒れに荒れました。
スーパーで万引きをしては、わざと店員に捕まる日々。家に連絡されても両親は留守で、誰も迎えに来てくれないのに…。
両親に代わって必ず迎えに来てくれたのが、担任のA子先生でした。店員に頭を下げているA子先生に、私は礼を言うどころか、逆恨みをしていました。先生が来るから親が来ないのだ、と思っていたからです。
ある日、給食ではなく、お弁当を学校に持っていかなければならない日がありました。みんなが机を向かい合わせにし、お弁当を広げ始めました。私の母は、運動会の時でさえ、お弁当を作ってくれない人。もちろん、お昼代さえもらえませんから、私は机に何も出さず、ただひたすら下を向いていました。
「お弁当は?」と、不思議そうに聞く同級生たち。孤独感や情けなさに押しつぶされそうでした。すると、
「お弁当が届いたよ。お母さん、渡しそびれちゃったんですって」
A子先生がそう言って、私にハンカチで包んだお弁当を手渡してくれました。見たことのないハンカチです。開いてみると、卵焼きやたこの形をしたウインナー、ミニトマトなどが入ったかわいらしいお弁当です。友達からうらやましがられ、誇らしい気持ちになりました。でも、母がこんな手のこんだお弁当を作ってくれるわけがありません。
教室の前を見ると、A子先生は静かに本を読んでいます。先生は自分のお弁当を、私にくれたのだと、すぐにわかりました。
今、私は教師をしています。A子先生にあこがれて心をあらため、奨学金で大学へ進みました。A子先生のような教師でありたいと、精進する毎日です。
※女性セブン2015年9月3日号